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月刊なび126号より 運動が行政政策になったという逸話
 投稿日時: 2017/08/01
 特別区か総合区かという行政機構の議論の下地として欠かせないのが、流入者が多い「母都市」大阪市の労働行政のあり方議論だが、法政大学の筒井美紀教授が面白い論稿を発表されている。「大阪府における地域雇用政策の生成に関する歴史的文脈の分析‐就労困難者支援への体系に関する総評労働運動の影響‐」という難しそうなタイトルだ。要は「労働運動が労働行政になった」という話だ。
 いまトレンディな生活困窮者へ就労支援政策の原型となったのが「大阪型地域雇用政策」だ。その内容は、一つに、雇用政策がまだ地方自治体のテーマではなかった1990年代に、大阪府が「労働行政地域総合システム」を発案し、商工労働部に「雇用推進室」を設置したこと。二つに、これに続いて大阪府が「地域就労支援事業」を発案、さらに「行政の福祉化」という理念から委託物件契約に「総合評価入札制度」を導入したこと。三つに、国が無料職業紹介事業を認可(2003年)すると、豊中市がいち早くこれを活用し、「豊中モデル」と称される就労支援に取り組んだことだ。
 この「大阪型雇用政策」も一朝一夕になったはずがないと、筒井准教授は、元大阪府職員の橋本芳章さんや元豊中市職員の西岡正次さん、元部落解放同盟役員のボクと、´A ワーク創造館館長の高見一夫さんの聞き取りを行った。その取材方法はちょっと変わっていて、ボクの場合、所属する西成支部が「同和対策事業のオルタナティブ」に取り組んでいたことや、その昔、ボクが故上田卓三代議士の秘書もやっていたことにまで言及し、四人がほぼ同年代で、1970年代の大阪総評を中心にした労働運動と部落解放運動の共闘の時代を経験していたことに着目している。そして、四人がそのフィールドワークにおいて、「異質な他者との出会いという、情念を揺さぶられる体験」を伴っていたがゆえに、既存の制度や事業の射程と限界とが見えたのだろうと分析している。
 1970年代、部落解放運動との共闘を始めた大阪総評労働運動は、組合員にはなっていない都市労働者と出会い、部落解放運動もまた、障害者等の都市生活者と出会い、その悩みや願いが既存の制度や事業を超越したものであることに気づき、葛藤する。残念ながら(と言おうか)労働運動の方はそれを進取する暇もなく連合結成へと向かったが、大阪府や基礎自治体がその財産を進取した。つまり、光栄なことに、筒井准教授は、労働運動や解放運動の試みが「自治体政策になった」と評価してくれている。
 ボクは、大都市においては「地域」だけでは括れない「流域」とでも表現すべき都市空間があると言ってきたが、その「流域」にかつて大阪総評が立ち合い、はたまた「地域の重層性」に部落解放運動が立ち入ったのだと思う。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

転載の許可をいただきましたのでご覧ください。↓

大阪府における地域雇用政策の生成に関する歴史的文脈の分析
‐就労困難者支援への体系に関する総評労働運動の影響‐
法政大学 筒井美紀教授



※訂正 なび8月号(vol.126)にて記載の誤りがありましたので、本投稿では訂正しております。深くお詫び申し上げます。
(誤)筒井美紀准教授 → (正)筒井美紀教授

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