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月刊なび149号より 戦争や差別の体験を風化させてはいけない
 投稿日時: 2019/07/01
 丸山穂高衆院議員の戦争挑発発言や、長谷川豊参院予定候補の部落差別講演には驚かされた。彼らに限ったこととは思えない、昨今の歴史に向き合う軽々しさや嘘々しさは、一体何なんだろうと考えてしまう。
 そんな折、熊本県の田原坂にある西南戦争記念資料館を見学する機会があった。薩摩軍が発行した贋札「西郷札」の現物が展示されていることや、博愛社(日本赤十字社の前身)の特別企画もあるとの案内があったからだが、結果は少々期待外れだった。「最後の内戦」西南の役のことは、西郷隆盛とともにあまりに有名なんだが、その内戦が何とも悲惨であったことはあまり語られない。田原坂もさることながら、大分県の竹田など、平穏な集落が瞬時のうちに地獄絵の如き悲運を辿ったのだが、人はこれほどまでに残酷になれるものなのかと立ちすくんでしまうほどなのに、だ。そんな乱暴の極みに「西郷札」による強奪もあり、博愛社の佐野常民が救護に奔走した因もあった。
 これこそ展示されたら良いのにと思うのは、『苦海浄土』の著者石牟礼道子さんの『西南役伝説』に収められている伝承だ。この聴き取り記の冒頭は、水俣市の古老だ。「実地に見たのは西郷戦争が初めてじゃったげな。それからちゅうもん、ひっつけひっつけ戦さがあって、日清、日露、満州事変から、今度の戦争(太平洋戦争)ー。思えば世の中の展ひらくる始めになったなあ。わしゃ、西郷戦争の年、親達が逃げとった山の穴で生まれたげなばい」。天草の古老からの聴き取りも圧巻だ。「ここの村は、耶蘇宗のいくさ(島原の乱)にも遭わん村じゃったが、(西南の役で)村中の働き手を、さらってゆかれてみると、苗字のなか者の世がくるちゅうても、お上というものがおるかぎり、取り立てることばっかり。御一新とはどがな世が来るかと心配しとったら、案のごとく人を奪ってゆかいた」。目も覆う悲惨な戦禍を、涸れたようなまなざしで見つめていた民の声を、石牟礼さんは見事に拾い集めた。もうすでに「もう一つの惨事(水俣病)」が、貧しい不知火海沿岸に押し寄せてきていた頃の聴き取りだった。
 どの戦争も「人を奪ってゆく」ものだと、百姓たちは見透かしていたのだ。不知火の百姓が見た「苗字のなか者の世」と、水平社が見た「人間をいたわるかの如き運動」は同じものであり、水俣の惨劇もそうだった。沖縄の人々が見た「戦後」も同じものだっただろう。
 橋下徹さんや維新の会が、大阪人権博物館の「(運営の)非効率さ」を指摘するあまり、その展示内容に、石牟礼さんが拾い集めた「民の抗い」を感じ取り、「弁士中止!」としたのなら、はたまた、田原坂の記念館が「それ」を過敏に避けたとしたのなら、「お上というもの」の所業ではないだろうか。ボクは、田原坂の記念館がこれから良いものになっていくと期待する。維新の会も、身から出た錆を省みてくれることを期待したい。

株式会社ナイス
冨田 一幸

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