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月刊なび171号より 祝! エスペランサ靴学院芦原橋移設
 投稿日時: 2021/04/30
 新聞報道のとおり、この4月、業界では著名なエスペランサ靴学院が浪速区のAダッシュワーク創造館内に開設され、授業を開始した。開設というよりは移設で、東京の浅草で半世紀も頑張っておられたものが、経営難で事業断念となるところを、学院卒業生の大山一哲さんの発案、Aダッシュの高見一夫館長の協力で、大阪移設が実現した。

 製靴業は浪速や西成の同和地区とその周辺の地場産業で、ルーツは江戸時代から靴の原材料である皮革の一大集積地であった旧渡辺村という被差別部落である。当然、部落解放運動は同和対策法の力も借りて皮革業や製靴業の振興に努めた。大阪皮革産業会館(大国町)の建設も同和対策法によるものだったが、この会館もすでにない。地元選出の辻洋二、吉田信太郎、松岡徹各市議は皮革産業振興に熱心で、ボクもその市議らや西成区玉出にあった関西製靴株式会社の片岡常年社長など業界関係者らと一緒に、TQ(関税割当)制度問題で政府や国会議員への要請行動のために上京した。一九九〇年前後のことだった。

 日本の製靴業は明治以降と歴史が浅く、どうしてもイタリアなど本場の後塵を拝しており、また、中国などには安価な製品の大量輸入で突き上げられていた。ガット・ウルグアイ・ラウンドでの靴の貿易自由化の圧力も高まっていた。そこで、自由化に対して、国内産業保護(ボク達からすると部落産業の振興)という観点で、関税の維持と技術革新や人材確保などの産業振興政策、すなわちTQ制度を求めたのである。それは至極当然のことだった。

 その後、西成のまちづくり運動の中から、靴職人育成のための西成製靴塾が設立されたのは一九九九年、靴職人の故井村義清さんなどが奔走された。この塾は、長橋小学校の空き教室から始まり、いまは鶴見橋商店街に居を構え、22年で約二〇〇人の卒業生を送り出してきた。塾への行政補助金は一切なく、無認可だがいわば社会的企業として持続してきた。そこに、近場へのエスペランサ靴学院の移設は朗報だ。一九九九年はエル・チャレンジの創設やNPO釜ヶ崎支援機構の設立の年でもある。この頃、ボク達は、行政補助金にも頼らない、営利企業でもない「新しい発想」に胸を膨らませていた。

 エスペランサ靴学院は、靴づくりの技術だけでなく、経営学やマーケティング、SNSを利用したセルフプロデュースの方法なども学べるらしく時代の先端を走る。そこに、Aダッシュの就労支援やコミュニティビジネス支援のノウハウというバックアップが加われば、期待は膨らむ。西成製靴塾も小学校の空き教室から「小さく産まれた」。伝統あるエスペランサ靴学院もAダッシュワーク創造館の一室から「小さく始まる」。社会的企業って何かと問われれば、欲しい商品やサービスを“働きたい人”でつくるということ。当然、欲しい人が少ないと通常の市場では手に入らないから、何らかのしかけが必要だ。働きたくても事情があって働けていない人にも何らかの仕掛けが必要となる。その仕掛けに苦心惨憺するのが社会的企業ということだ。小さく始まって、大きく育って欲しいものだ。

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