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月刊なび172号より もうがまんができない人から救済を
 投稿日時: 2021/06/01
 ボクは大の陸上ファンなので五輪テスト大会(5月9日)のTV中継に見入っていたが、桐生(男子短距離)と新谷(女子長距離)の大失敗には驚いた。ネットによると、会場の外で五輪中止を求めるデモが起こっていた。多少は関係しただろうが、何より、決断しない政治が元凶だと腹立った。コロナと五輪の二兎を追うことを、ボクも期待してきたが、やはり失敗だった。中止の判断の責任は大変だろうが、できもしないことを言い続ける政治は、もはや邪魔でさえある。

 コロナと経済、どちらも命に直結する難問、敢えて二兎を追ったのは、大阪府の司令塔吉村知事だった。ボクもそうだろうと是認したが、これも失敗だった。パンデミックの対処は「がまん」だった。ワクチンの普及で免疫を持つまでの約2年間、どれだけ市民にがまんを強いることができるかが政治の使命だったが、この確信が揺らいだ。「経済は大打撃を受けるが、命には代えられない」。吉村知事はそう言い続けるべきだった。住民投票を断念していたら、それが起点になったはずだが、あれほど惰性を戒めた維新も惰性に流れた。決断には想像以上の勇気が求められたとは思うが。

 「がまん」には「はげまし」が必要なのは自明だ。休業や給与の補償について政府は曲がりなりにもよくやってきたとは思うが、長期戦対応と補償から排除された非正規雇用等への遡及措置は不完全なままだ。国会が強行した罰則付きのコロナ特措法は、多くの自治体の長が「適用せず」と冷静だったことに救われている。

 地元の身近なところでは、感染の危険と向き合う医療現場や、創設20年ほどの若い法人が多い社会福祉法人などのがんばりは称賛に値する。今でこそ西成には市営住宅居住者が多いが、半世紀前はそうではなかった。老朽住宅の密集市街地のままだったら、西成の感染状況は悲惨だったはずだ。公立の解放会館に代わって民営のにしなり隣保館が残ったのも幸運だった。社会福祉法人や隣保館があってのことと、関係者の努力には頭が下がる。

 こんな市民の「がまん」を「日本人特有の同調意識」と評論するのはあまりに浅薄だ。政治や行政が今もっとも優先すべき課題は、がまんやがんばりが限界に来ている市民の救済だ。ここがボクの主訴だ。自殺のおそれがある人、生活体力と制度体力が弱い母子家庭、社会生活に未熟な若者、人権が脅かされそうな人々、そして、長期戦を担う医療福祉関係者への支援が急務だ。詳しく書けないが想像して欲しい。

 処方箋の一つは、身近な生活圏やネット空間に相談窓口の設置と相談員の確保、医療福祉現場への助っ人の派遣だ。ワクチン接種を終えた人たちに協力してもらえないのか、若者や母子家庭の親への優先接種は無理なのか。もう一つは、金銭及び住居の提供だ。緊急生活資金や一時的借り上げ公営住宅は法制化・条例化できないのか。さらにコロナ差別防止条例の制定もある。差別防止に金はかからないから話は早いはず。部落解放同盟大阪府連の提案に吉村知事は耳を傾けるべきだ。

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