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月刊なび173号より 三たび「黒い手袋」のこと
 投稿日時: 2021/07/02
 1968年のメキシコ五輪の陸上男子200Mの表彰式のことを、ずっと前の『湯かげん』で二度書いた。一度目は、金メダルのトミー・スミスと銅メダルのジョン・カーロスの米国黒人選手が、黒い手袋を着けた握り拳を星条旗に突きつけて五輪村から追放された。高校生だったボクは、その光景を鮮明に覚えていると書いた。二度目は、銀メダルのピーター・ノーマンという豪州の白人選手も、実は、黒人選手に連帯の意思を表す「人権バッジ」を着けて表彰台に立っていた。彼は豪州のアボリジニ差別を黒人差別になぞらえていたことを後に知ったと書いた。
 そして、つい最近の毎日新聞で、また新しいことを知った。1936年のベルリン五輪男子マラソンの金メダルは孫ソンギジョン基禎で、銅メダルは南ナムスンニョン昇竜だった。彼らは朝鮮人でありながら侵略国の日の丸をつけさせられた。この時の模様は『民族の祭典』という記録映画に収められていて、二人は表彰台で日章旗を見上げずに「うつむいた」。孫は月桂樹の鉢植えで胸の日の丸も隠した。実は、メキシコ五輪の米国黒人選手は、その孫と南の態度を参考にして行動したと証言していたそうなのだ。それは初めて知った。高校生のボクの見たあのメキシコの光景の背後には、ボク達の国の過去があったのだとわかったのは少なからぬ衝撃だった。だから、三たび『湯かげん』に書くことにした。
 
 85年前のヒトラー賛美のベルリン五輪で、恐怖と闘いながらも二人の朝鮮人選手は日の丸に傅かしずかなかった。その思いが連なるように、53年前のメキシコで、二人の黒人選手と一人の白人選手は、母国の差別に、自らへの迫害覚悟で抗議の意思を表した。後に見た写真では、悲運の人生を送った豪州の白人選手の葬儀に駆けつけた二人の黒人選手が、その柩を担いでいた。毎日新聞記事は、1964年の東京五輪男子マラソン銅メダルの円谷幸吉選手の遺書と、ベルリン五輪女子800M銀メダルの人見絹枝選手の遺した言葉を紹介し、国と勝敗に翻弄された悲運も書いていた。五輪の歴史はいつも表と裏の二つのドラマを繰り返し、そこに差別との闘いがあった。忘れてはならないことだ。
 さて、この拙文が読者の目にとまる頃には、東京オリパラは開催直前なのだろうか、それとも中止もしくは延期が発表されているのだろうか。よもや、あのベルリン五輪のような異様で不気味な興奮の渦の中にあることはないだろう。菅総理がヒトラーになってはいないだろう。それはないだろう、そう思う。しかし、会場の内外で、あるいは選手団のあちこちで、うつむいたり、拳をかざしたり、皆が思い思いに、オリパラの無理強いに地団駄を踏んでいる光景が目に浮かんでしまう。世界は確かに変わらなければならない、コロナ禍はそう忠告している。その現実を東京オリパラで覆い隠してはいけない、そう思う。ましてや、東京はベルリンであってはならない。菅総理はヒトラーであってはならない。ちょっと大袈裟な書き振りになってしまった。

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