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月刊なび156号 いよいよ住民投票、まだまだ総合区
 投稿日時: 2020/02/05
 いよいよ都構想の2度目の住民投票が11月頃に実施されることになった。前回が僅差の否決だったこともあるし、市民の理解がそんなに進んできたわけでもないから、結果の予想は簡単ではない。これから約10ヶ月、大阪市による住民説明会が催され、賛否の論戦も繰り広げられることになるが、ボクは、賛否両者にどうしても聴いておきたいことがある。それは、否決された場合の対案はあるのかということだ。
 ボクの都構想への態度はこれまでずっとシンプルだった。都構想議論をすべきか否かについて、迷いなく「賛成(やるべき)」だった。何故なら、府と市の間に「二重行政」は間違いなく「あった」し、大阪市役所も市議会も肥大化しすぎて、とてもニア・イズ・ベターでは「なかった」。改革は必至だったが法改正を必要とする大仕事だったから、遅々として進んでこなかった。誰が大阪市長になっても「都市構想」は聴きたかったが、橋下さんは「大阪都構想」を示し、議論を興した。その橋下さんに国が反論するよう地方自治法を改正し「総合区」という「対案」を示した(2014年)。ボクは、両論が出て選択肢ができたと思ったが、市議会は「都構想vs 現状のまま」で硬直してしまった。当然選挙で争われたが都構想側が圧勝し続けて、総合区という選択肢は俎板に載せられなかった。
 維新の市長は3人続いたが、橋下さんは総合区も選択肢と明言し、吉村前市長は「まず議会で総合区を決め、後に住民投票で都構想を問う」との対案も示したこともあった。松井現市長は、都構想否決なら総合区を提案するのだろうか? 先日の会見で「否決でも市長の任期は全うする」「政党としての維新は都構想を主張し続ける」(1月8日付『産経新聞』)と言われていたのは、「否決後の対案(総合区)」もあると理解したらいいのだろうか?そうであるなら、松井市長は立派な市長になられると思う。
 一方、都構想反対側の「対案」はまったく聴こえてこない。公明党はもう総合区を諦めたのだろうか? 自民党は24区を合区するのだろうか? もし「現状のまま」というのなら、2度もの住民投票を「壮大な無駄」と片付けてしまうのだろうか? ボクの住民投票への態度は、都構想の場合と同じくいたってシンプル、「否決で、総合区を期待する」だ。もちろん、最後まで総合区合意で住民投票の回避が一番であることは言うまでもない。
 大阪市は存続させたまま府と市の統合本部を作って二重行政を防止する。24区を5つか8つに合区した総合区で、ニア・イズ・ベターを実現する。維新にも反維新にも総合区に合意してもらいたい。そういう市民運動を最後まで追求していきたいと思う。

月刊なび 155号より 20 周年を迎えたエル・チャレンジ
 投稿日時: 2020/01/22
 エル・チャレンジが創立20年を経過し、昨年11月に記念行事を開催することができた。せっかくのことだから、「これまで」と「これから」を、とくに大阪の都市政策と関連づけて記しておきたい。
 エル・チャレンジ創立の1999年の頃、様々な意味において転換の時
だった。一つは、障がい者雇用のなかでも遅れていた知的障がい者の雇用にもようやく光が当たり始めていた。そこに、「働く意欲は、働くことから」と、知的障がい者雇用の核心をつくようにエル・チャレンジは登場した。二つは、雇用対策法の改正(2002年)で注目が集まりはじめた自治体の雇用政策に、エル・チャレンジは先駆けた。「社会的援護を要する人々への社会福祉のあり方に関する検討会」報告書(2000年12月)よりも以前であった。三つは、同和対策法の終結(2002年)を目前にした同和行政改革を進取するものでもあった。ボクは、当時部落解放同盟大阪府連の役員でもあったが、同和対策で就労していた同和地区の人々が施策の変更に応じてくれたことに感謝した。四つは、当時すでに大阪府は財政危機に直面
していたが、当時の府職員の真剣さは秀逸であった。エル・チャレンジは行政改革を先駆けるものでもあった。
 エル・チャレンジが飛躍したのは、2003年に大阪府が総合評価入札
制度を導入した時であった。その意義は、一つは、この入札制度改革によりエル・チャレンジとビルメンテナンス業界との協働が飛躍的に進んだこと。「福祉と市場」の協働は当時まったく珍しいものだった。その後に欧州や韓国で公共調達を社会的価値実
現に活用する法制度改革が実行されていくのだが、大阪は10年先を走っていた。二つは、総合評価入札は、横山ノックさんから吉村洋文さんまで5代の知事によって、時に厳しい詮議を受けながらも継承され、再評価されてきたこと。いわば「改革のロングセ
ラー」となったことの意義は大きい。三つは、この入札改革も一つのシンボルとなって、「社会的企業」という新しい発想が芽生えてきたこと。都市公園管理にNPO 等が参入したのもそ
の表れだった。
 そして、「これから」だ。2016年4月、大阪府はハートフル条例を改正、施行した。その意義は、一つは、公契約の入札を福祉の増進に活用することを条例化したこと。国連が定め
たSDGs(持続可能な開発目標)の「12-7(持続可能な公共調達の推進)」を日本で初めて具現化することになった。二つは、「職場環境整備等支援組織」という労働市場での中間支援組織を条例で「認定」したこと。地域社会に地域福祉のソーシャルワークが求められているように、労働市場でもソーシャルワークが必要であること
を、実例と共に宣言したことの意義は大きい。口幅ったい言い方だが、それは、雇用率を改竄した国の省庁が、大した反省もなく「就労支援なき駆け込み雇用」で過ちを上塗りしているこ
との対極にあった。三つは、大阪都構想の是非はともかく、大都市おおさかの都市政策を構想するにあたり、公契約のあり方、とくに公契約における市民力の活用は重要なテーマであり、条例はその問題提起を成したと評価できる。
 かくして、エル・チャレンジは20年の時を刻み、ハートフル条例はスタートした。障がい者雇用、人権運動が先に帆を上げてくれていたからこそ、大阪の共生の都市づくりが大海に船出することができたのかもしれない、いつかそう言われたいと思った。

月刊なび 154号より 関電の差別会見に驚いた
 投稿日時: 2019/12/04
 関西電力幹部の金品受領問題には驚いた。社長を筆頭に幹部20人が総額3億円を超える金品を受領し、吉田開発は競争入札を経ない特命発注等で多額の原発関連工事を受注し、関電は原発関連の工事情報を福井県高浜町の森山元助役(吉田開発の顧問でもあった)に事前に提供していたとのこと。森山氏が見返りを求めて金品を渡し、関電はその資金を流す目的で吉田開発に工事を発注した収賄罪の疑いは濃厚だ。入札における関電の受注調整も疑われ、独占禁止法にも抵触する。組織ぐるみの大犯罪だから、国民の原子力事業への不信感は一層高まり、全国の原発再稼働が頓挫する可能性もある。
 ところが、関電トップの記者会見では、「金品の見返りに森山氏に工事発注の情報提供した事実はない」「吉田開発への工事発注プロセスは適切だった」と発表した。そして、実に奇妙なことに、森山氏の強い圧力が原因とし、その強引さ、あまつさえその人柄にまで言及し「断ることができない雰囲気だった」と語ったから、ボクは二度驚いた。そんなバカな、関電ほどの大企業に、金品強要等不正行為への対応システムがないはずはない。こんな見え透いた言い訳は何故なんだろうと感じた。
 不可解な記者会見の背景はすぐに露呈した。ネット等で森山氏が「人権団体」の顧問で、ずっと昔部落解放同盟の役員だったこともあるとの情報が流れたのだ。なんと、関電トップともあろう者が、前代未聞の不正の背後に解放同盟がいると匂わせて、責任逃れを演じようとしたのか、そう疑われても仕方ない。しかも、関電は昨年7月にこの問題で社内調整を開始、9月には報告書をまとめていたが、何故か公表してこなかった。そして、今年3月森山氏は死去した。え、死人に口なし、死亡を待っての会見だったのか? 関電組織ぐるみの計画的記者会見、つまり「差別会見」だったのか。さっそく、部落解放同盟は西成支部出身の赤井中央執行委員が現地調査に赴き、「声明」を発表した。詳細はネットや週刊誌でも公表されているから、ご一読願いたい。
 さて、10月13日、関電は第三者委員会を設置、年内にも報告書がまとめられることになる。第三者委員会の責任は大きいが、部落問題も避けるべきでない。あの記者会見の不可解さは、この問題の真相に係わっているはずだ。橋下徹さんの就任は叶わなかったが、大株主としての松井大阪市長のオファーは、パフォーマンスと受け取られているようだが、ボクは適切だったと思った。松井市長には、原発マネーの解明とともに、この「差別会見」の追求もやって欲しいと期待する。⦆
 今回の事案では、ネット等での差別拡散は、かっての「橋下出自」報道などに比べると、抑制的だったと感じた。部落解放同盟の「声明」も素早く、的確だったと感じた。だからこそ、「差別会見」への追求はちゃんとなされなければならないと思った。

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