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都市型デザイナーズマンション

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なにわ筋と鶴見橋商店街の結節点

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月刊なび27号より ふるさとからの訃報
 投稿日時: 2009/03/01
 1月末日、故郷鹿児島への帰省を終えたボクは、そのまま帰りの飛行機に乗るのをためらい、憑かれるように、西郷隆盛が没した城山にあるホテルに投宿した。およそ気ままに小学校時代の友に電話し、思わぬ快諾を得て、その夜、天文館で呑んだ。友が誘った店は、ごん兵衛という湯豆腐の老舗だった。店のおかみさん、どこかで見た人だと思ったら、旅行雑誌か何かで見た人だった。笑顔がとても印象に残っていて、行ってみたいと思っていた店だったので、奇遇を喜んだ。
 故郷の友の数は4人になり、その夜は何とも楽しかった。だから、遠からずごん兵衛を再訪し、「あんた覚えてるよ」と、あのおかみさんに言われたいと、密かに企んだ。しかし、それはかなわぬことになったことを、友が転送してくれた地方紙のコラムで知った。ボクに湯豆腐を振る舞った一週間後、おかみさんは急死したというのだ。
おかみさんは、久保享子さんと言い、享年77歳だった。店は彼女の母が1918年に開き、戦災を経て1949年に再開、享子さんも手伝うようになった。母をなくしてからは愛犬ごんと暮らしたが、ごんは、連夜店の前に座り、名物となった。そのごんも、一昨年11月に逝った…。地方紙は、ごん兵衛が91年もの歴史を刻んできたこと、その間、二代のおかみさんと愛犬が、無数の人々を慈しんできたことをかいつまんで教えてくれた。
 「そこに行けば必ず誰かいる」と、地方紙は、おかみさんの絶やさぬ笑顔と気さくな鹿児島弁を重ね合わせて、この店のことを評し、それはまちの魅力だったと書いた。ボクは、いたく共感した。そして、やっぱり、まちづくりは続けないといけないと思った。ごん兵衛のように、このまちに溶けていきたいと思った。
 そうか、もう、あのおかみさんはいないのか…。ボクは、人恋しさを持て余して、地方紙を繰り返し読みながら、あのごん兵衛の酒に、もう一度酔った。

月刊なび26号より 府立公園に「社会」というテントを張る
 投稿日時: 2009/02/01
 年末、府立公園の指定管理者選考で、橋下知事が選考結果に意義を唱えたことは、マスコミでも報道された。?ナイスも都市公園共同管理体の一員として、その渦中にいた。結果は、住吉公園、住之江公園では再任され、新たに河内長野公園も選任された。久宝寺公園では、公園協会に僅差で敗れたが、橋下知事が、公園協会受託物件では、3年の契約期間を1年に変更したため、捲土重来の機会が早められた。公園協会は、11公園にノミネートし、10公園で当選したが、これが不明朗な選考と疑われた。府の当該部局や公園協会にしてみれば、選考はいたって公正なもので、最後まで、知事の介入は理不尽と思っていたらしい。共産党や公明党の議員さんたちも、この点では公園協会に同情したような議会質問だった。ボクも、当事者として見て、選考が偏っていたとは思わない。ただ、11の内10も受託した事業者が府の出資法人だったとしても、公正な選考結果だから問題ないとする選考委員会の「社会感覚」には、唖然とした。
 実は、ボクは、選考に入る当初から、二つのことを言い続けた。一つは、「権限なき官」ということ。すなわち、「権限」に代わる「知恵」で「官」としてのありようをいかに表現するかということ。もう一つは、「競う」ことで「育てる」ということ。「育てる」とは、旧来の管理制度では見落としがちだった「府民目線」や「社会目線」を、「競う」ことで「育てる」という意味だ。だから、3年前、ボク達は「公園で寝てる人から、公園で働く人へ」と、ホームレス支援を社会目線から世に問うた。府議会で橋下知事は、障がい者雇用など政策評価は堅持すると答弁した。正直言って、知事は市場主義の過激派ではと懸念していたので、そのバランスのよさには、内心ホッとした。
 打ち明けて言えば、ボクは、障がい者雇用の法定雇用率にはあまり興味がないし、NPOや社会的企業で一般企業と競おうとも思っていない。ボクは、公園でのホームレスを見て、「寝てる人から、働く人へ」と思い立った。「市場」に「社会」をコミットさせることが、ボク達の「企て」、企業だ。捲土重来、ボク達は、いま一度、府立公園に「社会」というテントを張る。橋下知事、しっかり見てて欲しい。

月刊なび25号より まだタイトルが決まらないボクの初夢
 投稿日時: 2009/01/01
 ボクがエル・チャレンジを創った時、知的障がい者の総数は五〇万人と思っていた。だけど、ホームレス全国調査をやってみて、多数の知的障がい者が療育手帳を持たずホームレスになっていることを知った。また、刑余者支援ネットワークを始めたら、刑務所に多数の知的障がい者が服役していることに驚いた。ある識者は知的障がい者の総数を三百万人と推計している。先日、ボクは、炭谷茂さんが提唱するソーシャルファーム・ジャパンの結成に参画し、運営委員となったが、炭谷さんは講演で、就職困難者の総数を二千万人と推計した。ボクが、七年前、地域就労支援センターの創設に参加した頃の就職困難者の推計は、その半分にも満たなかったと思う。ボクは、豊かさに覆い隠されてきたわが国の「二重構造」を見た気がした。そして、いま、「富」から「貧」への大規模な人口移動を目の前で見ているような日々が続いている。
 そして、ボクは、「社会の福祉化」という、漠とした夢想に耽った。かって、エル・チャレンジを創った時の「行政の福祉化」は、制度(財源)に頼れないなら、関係(契約等)の見直しで、福祉を興すという意味だった。あの時の、あの着想の、より大規模な展開が「社会の福祉化」ということだ。
 去る年の一番の朗報は、Aダッシュ創造館という職業訓練センターを、高見一夫君という有能な社会企業家達と一緒に設立したLLP(有限責任事業組合)大阪職業教育協働機構で受託できたことだった。ボク達がそこで夢想したのは、都市生活関連産業への産業、労働移動の手助けだ。その着想に、府の出資法人というような経営手法から、LLPのような協働手法への移行を重ね合わせた。ボクは、ここでは、とりあえず「産業の社会化」と銘打って、微力だが、何かしらの仕事をしたいと決意している。
 ともかくも、ボクの目の前の光景がドラスティックに変わろうとしている。
去る年を表現した「チェンジ」では言い表せない、変わりゆく社会に対する自己認識を何と表現して、初夢にタイトルをつけたらいいのだろう?とりあえず、「オルタナティブ―新しい道を歩もう―」という仮題をつけておくので、誰か、ボクの初夢に入ってきてほしい。

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