ブランコート

都市型デザイナーズマンション

ガラシャ

ガラシャ

アジールコート

なにわ筋と鶴見橋商店街の結節点

ガラシャ

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月刊なび24号より たかじんの番組での部落問題
 投稿日時: 2008/12/01
 先日、やしきたかじんの「そこまで言って委員会」という番組で、部落問題が論じられていたが、見た人は多いと思う。ゲストの灘本昌久という研究者のコメントは、概略こんなことだったと記憶している。
 室町の時代まで遡るのか、その昔、村落共同体が再編される過程で生じた摩擦、排除に起因して部落差別は生まれたのであって、通説だった「政治起源説」は完全に克服された。この百年、「近代化」「民主化」を経て、部落問題を取り巻く環境はまったく様変りした。同和行政と旧来の解放運動は、「政治起源説」をルーツに、「政治(行政)責任」を問うものだったが、功罪相半ばしながら、ともに使命を終えたと思う。そもそも地域共同体にルーツを持つのが部落問題であり、昨今、行く末が危ぶまれている地域社会の営みに、部落問題解決の新たなフィールドがあるのだが、解放同盟は、例えれば「農協」のように、守旧を演じている。 テレビで部落問題をコメントするのは容易ではないのに、灘本さんの語り口は平易で、簡潔だった。もちろん異論があるが、冷静に聞けた。他の評論家の、今でも差別があるという現実も聞きたいというコメントも好意と受けとめた。でも「距離感」が残った。
 かの封建の時代の「社会」と「社会外」の並走から、「文化」という価値を収集することは定説になっている。「近代化」「民主化」の時代の抗争(解放運動)が種蒔いたのは「参加」という価値だった。ボクは、その価値を育むことに奔走しているつもりだ。
 灘本さんの学説に従えば、人々は、もう何世紀にもわたって部落問題に処してきた。差別の「いわれ」もさることながら、その「係わり」にも想いを寄せてみたい。ボクには、有意義な営みに思えるし、環境変化はするにしても、これからもそうありたいと思っている。あ、字数も思考も、もう一杯だ…。

月刊なび23号より 「みんろう」でこのまちに溶けていく
 投稿日時: 2008/11/01
 わがナイスのブランコート竣工から3年、おかげ様で満室状態を維持している。同じ趣旨の増井マンションやオーキッドヒル、シャンベル北村もつつがなく経緯している。しかし、古い賃貸住宅を共同建替する際に従前入居者が仮住まいするリロケーション用市営住宅は、2年ほど空室のままとなっている。新しい建替事業が停滞しているのだ。もちろん、幾つもの候補物件もあって、鋭意努力しているのだが、世の中そんな甘くない。読者は先刻承知のことだが、これらの賃貸住宅、いわゆる「みんろう」と称される。民間老朽賃貸住宅の共同、あるいは協調建替事業で、建設にあたって一定の国庫助成があり、従前入居者には概ね家賃差額の2/3の家賃補助がつくという、西成発の住宅事業だ。ボクは、これを、公でも民でもない住宅政策の「第三の道」と触れ回ってきた。そして、最初のプロジェクトであった増井マンションの従前入居者の人々との語らいから、「もう、どこにも行かなくていい、まちづくり」というコピーをつけた。ブランコートには、わがまちの若者に住み続けて欲しい、帰ってきて欲しいという思いを込めた。福祉や人権、まちづくり、そして社会企業という幾つもの「こんなんあったらいいなぁ」を重ねた結晶だった。
 ボクは、百年も昔、木津川沿いに広がる湿地帯であったわがまち、そして、「一帯に特殊部落民が多数点在する」と蔑視されたわがまちで、居を構え、暮らしを営んできた人々に思いを馳せながら、今にも消え入りそうなボク達のまちづくりの歩みを振り返っている。そして、このまちに「溶けていこう」と、はやる気持ちを抑えている。
 ただ、最近、泉佐野市の鶴原という地域で、ずっと社会運動を共にしてきたボクの友人が、有料高齢者マンションを建て、先頃その階下にレストランを開店するという知らせが届いた。そこも被差別部落だ。この後輩、なかなか肝のすわった男で、その行動力にはボクもたじろぐ。久しぶりにライバル意識を燃やした。つられるように打ち明けるが、ボクは、ずっとあいりん地区のど真ん中にブランコートを建てたいと夢想してきた。ボクは、あのまちで「住まいを選ぶ」ささやかな自由を謳歌し合いたいと考えた。その夢を、まもなく実行に移すつもりだ。ボクの「溶けていく」は、まだまだ生臭いな…。

月刊なび22号より 自民党と一緒に、メタボとさらばしたい
 投稿日時: 2008/10/01
 食欲の秋なのに、長年の不摂生がたたった「メタボ」のせいで、なかなか爽快な空腹感がやってこない。そんな自分の体調に世の中をなぞらえるのは身勝手だが、この閉塞感は辛い。
 麻生さんが首相になったけど、まもなく総選挙、おそらく民主党が政権に就くだろう。その後、そんなに遅くない時期に再び総選挙となり、長く、ホントに長く続いた自民党政権は終わるのだろう。もちろん、ボクは大賛成だ。しかし、ボクの心境はとても不安定だ。自民党と一緒に終わっていく、ボクが生きた時代の価値観の終焉を日々感じているからだ。
 関改革、橋下改革を経て、公務員だったり、公益法人の職員だったり、あるいは社会運動の専従だったボクの仲間が、ホントにたくさん辞めた。そして、この数年でもっと辞めていくだろう。その仲間を「自民党と一緒」と言っているのではない。ボク達が生きた時代を自民党になぞらえているのだ。そうしてみると、ボクは、かって、その時代の延命に奔走し、いま、その時代に引導を渡す嫌みな役回りを演じ、まもなく自分も終わっていく、そんな気がする。
 菅直人さんが次の財務大臣に就くというのは、ボクだけの予想ではないだろう。市民運動から育ったボクより少し年輩の彼は、きっと霞ヶ関と厳しく対峙しながら、古い価値観を葬ってくれると期待する。ボクは、彼が時折見せる「イラ菅」は、経済大国ニッポンの時代に、右も左も、体に蓄積してしまった「わがまま」「主観主義」が、体調の悪い時に顔をもたげたものだと推測する。「メタボ」の正体だと思う。わがまま、主観主義が許されるほど、ニッポンは豊かだった。ボク達はそんな時代を生きた。天下の菅さんに偉そうなことを言ったが、菅さん自身の自己革新に、自分を置き換えている、同世代の、同じように社会運動を経験した者の思いだと聞き流してほしい。
 ともかくも、政治も、経済も、福祉も、社会運動も、自己革新していく、長い、長いトンネルの中にいる。そのお互いをご同輩と感じるのは、メタボの中高年独特の心境かも。ヘタなゴルフにたとえて一句。・・・たたけど、たたけど、まだ見えぬグリーン、われ、じっと腹をさする・・・

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