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月刊なび114号より 地域から民主主義をやり直そう
 投稿日時: 2016/07/25
 終わってみれば、「争点が定まらない」参院選挙だった。日本の政治の中期的な争点は、平和(改憲)、環境(原発)、社会保障(格差)で、そのうち「格差」は最もリアルで、なかでも「生活困窮者支援」は、受益と負担という「二項対立」な福祉の発想を転換させてくれると思ってきたが、論戦にはならなかった。
 生活困窮者自立支援法は、貧困だけでなく孤立や排除にも着目し、「誰もが生活困窮者になるかもしれないリスク社会」と現代社会を分析した。そこから、身近な基礎自治体に期待(分権)し、地域福祉と中間的就労を育むこと(一億総活躍よりソーシャル・インクルージョンと菊池桃子さんが指摘したあの議論)で、持続可能な福祉の基礎構造を構築するという、キラリと光る社会改革の先駆だ。この法の伏線にはホームレス支援法が、もっと前には地域就労支援事業や「行政の福祉化」等の大阪改革があり、同和行政改革もその渦中にあった。
 これらの政策をリードしてきた政党は、旧民主党であり公明党だった。橋下さん(維新)の「西成特区構想」もそこにベースがあった。自民党もこれらの法実現をサポートした。つまり、政党を超えるような合意が醸成されてきた。しかし、参院選を前に、維新の「教育無償化」にも安倍内閣の「一億総活躍」にも、「競争主義」や「成長主義」が色濃く出た。それはそれで、避けられない論争だと思ったが、どうしたことか、一方の民進党や公明党が論争から遠ざかって、ボクには「不戦敗」に見えた。共産党や社民党はあまりに護憲のシングルイシューで、生活の党は都市部では影が薄かった。かくして、「争点の定まらない参院選挙」となった。もちろん、福島などの東日本、沖縄、鹿児島県知事選のように争点が定まった選挙区では、意義のある接戦が演じられた。
 ボクは、「政権交代」で期待も失望も経験し、或いは「橋下改革」を体験し、そこに横たわる「二項対立的政治が、現実の生活と乖離していること」を感じた。社会保障改革に財源議論は必須だが、「一体改革はかけ声で消費増税だけがリアル」というのが前者であり、「大阪都構想なしに分権はない」というのが後者である。うまく抽象化できないが、幼児教育から大学院までのどこまでかを論じるより、不登校や高校中退者も含めて、どんな人の学ぶ権利にも「カネ」と「テマ」を惜しまない社会の合意を育むのが教育無償化、というような市民参加のプロセスこそ政治だと思う。つまり、民主主義ということだ。
 震災復興支援や沖縄の基地への問い続けも、生活困窮者支援も、出口の見えない迷路のようでも、民主主義というプロセスはくっきりと見える。いま、その民主主義が、政治の舞台で見えにくくなっている。誰かが、政治参加とは、「初めて手作りの弁当を届けて喜ばれた時のような感覚」と表現していたが、言い得て妙だ。そんな気持ちで、地方政治、地域活動から民主主義というものを立て直せないものかと思った。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

月刊なび113号より 教育無償化とは「カネ」も「テマ」も惜しまないこと
 投稿日時: 2016/07/08
 打ち明けた話、ボクの歩んできた社会運動では、教育無償化とは「貧富」の問題、すなわち「貧しくても学校へ行ける」ということだった。今は、教育無償化とは「多様性」の問題、すなわち「どんな人も学べる、学び直せる」ということへと進化している気がする。
 先日、おおさか維新の政策通の演説を聴いた。演者は「幼児から大学院まで完全無償化する。それから先は自分でやってもらう機会平等主義が維新の無償化」と歯に衣を着せなかった。吉村大阪市長が、5歳児の無償化を実施し、3歳児まで広げると公言した時にはさすが維新と共感したが、機会平等主義には呆れてしまった。どうもこの党の政策は深くない。
 人によっては数百万円とも言われる「奨学金債務」が社会問題化して、にわかに給付制奨学金導入が国会でも議論され始めているのは、雇用危機が背景にある。自民党も給付制を言い出し、維新は大学無償化で、野党もあまり違わない軽さで相乗りし、問題は財源だと、議論は一人歩きしている。
 政治の舞台での教育無償化の議論には、不思議なことが四つある。一つは、雇用危機を背景にした大学の無償化と言うのなら、大学に行かない若者への就労支援や職業教育も同時に俎上に乗せないとアンフェアだが、どの政党もそこは言わない。二つは、合意が整ってきている高校無償化だが、通信制高校が単位取得に偏っていることから、「学び直し」のための「サポート校」等の無償化の補完措置が議論されるべきだが、まったく話題になっていない。三つは、同じく、義務教育課程に生じた不登校問題についても、「フリースクール」の義務教育算定という補完措置は、無償化議論から完全に抜け落ちた。国会では「かえって不登校を増やす」なんて暴論まで出た。四つは、大阪市は幼児教育無償の対象から認可外教育施設を外して、外国人との共生を遅らせた。
 教育無償化とは、ボクなりの解釈では、「カネを惜しまない」ではなく、「テマも惜しまない」だと思う。だから、外国から来た日本語のできない幼児も、不登校になってフリースクールに通う児童も、通信制高校で学び直しを始めた生徒も、はたまた支援学校を卒業してももっと学びたい知的障害者も、通常の教育課程から外れても、テマを惜しまない、その社会的合意を得るのが教育無償化ということだ。
 だから、いきなり財源は?なんて先走らず、「カネ」は国や自治体でも、「テマ」はNPOや市民活動でできることがあることに注目すべきだ。にしなり隣保館でも、高校中退者等のための「マナビバ」が実施されている。残念ながらフリースクール法案は国会には提出されなかったが、NPO等を支援する地方の条例を積み上げて、義務教育課程算定の法律を求めていくのも良いかもしれない。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

月刊なび112号より 人権法を改憲に絡めとられないように
 投稿日時: 2016/06/01
 障害者差別解消法が4月に施行されたのに続き、ヘイトスピーチ対策法、部落差別解消法、LGBT(性的少数者)対策法、高齢者年齢差別対策法等、多様な人
権法案が議論されている。婚外子差別に係る民法規定違憲判決や、ハンセン病隔離法廷最高裁謝罪もあり、発生から60年を迎え水俣病差別も見直されている。ボクは、フリースクール(不登校等児童支援)法も一種の人権法になるかもと期待してきた。同一労働同一賃金の議論も広く人権に係っているとも言える。ともあれ、これだけの「人権法案」が一堂に議論されることは珍しい。
 人権法案だからと言って、内容に問題がないわけでもないし、成立に辿り着くかの懸念もある。例えば、部落差別解消法は、「部落」という冠語がなければ何の差別なのかわからない「能面な」理念法に見え、せめて「審議会」設置等付帯決議で補完してほしいと願う。フリースクール法は、学習支援計画の可否によって義務教育課程に算入するという肝の部分を、与党側は「かえって不登校を助長する」からと削除する意向で、これでは不登校児童も「福祉の対象」と矮小化されそうである。「LGBT 法」は、稲田朋美自民党政調会長が「多様性を認める」
と踏み込んだが、与党内には頑迷な反対論が根強いようで、成立のハードルは高そうだ。
 振り返って、過日の大阪市ヘイト条例可決の際、橋下前市長提案にあった「被害者の訴訟費用の公費負担」という骨のある原案が削除されたのは、いかにも残念だった。ボクには、ヘイト条例がやっと成立したというより、「大きな魚を逃がした」感が残った。この大阪市条例の攻防が、そのまま国政に引き継がれてしまい、「(この政治状況では)一歩前進」、はたまた「この機を逃がしたら」の圧力が、人権法案を骨抜きにしてしまいそうな懸念がある。
 橋下さんの最後っ屁みたいな提案はもう一つあった。憲法の「義務教育」を「教育の無償化」に変えるというのだ。呼応するように吉村後継大阪市長が「5歳児教育費無償化」を提唱し、ボクは、フリースクールの義務教育算入の論拠もこれだと、思わず膝を叩いたが、あからさまな「改憲との引き換え」に強い危惧も感じた。橋下さんは、歯に衣着せぬ人だが、安倍さんは違う。でも、どちらも
改憲への「翼賛化」として人権法案を急いでいると思う。安倍さんは橋下さんと違って、国民に問いかけることはしない、つまり陰険なだけだ。
 これだけ一強多弱だと本末転倒しがちだが、人権法案で譲られないのは「当事者」の民意であり、法制定の段階でも、法を進行管理する段階でも、これは尊重されなければならない。だから、公聴会等開かれた意見聴衆の場は不可欠だし、審議会(当事者参加の)設置も不可欠だと思う。その点では、当事者を代表する社会運動はもっとラディカルで、ある意味頑固であったら良いと思う。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

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