ブランコート

都市型デザイナーズマンション

イタリアンレストラン

リストランテ ベッラファーべ

ガラシャ

ガラシャ

祭り

ながさん祭りロゴ

アジールコート

なにわ筋と鶴見橋商店街の結節点

ガラシャ

ガラシャ

月刊なび129号より 「選手と観客」を超えるのが公務員改革と思ってきたが
 投稿日時: 2017/11/01
 元々、小泉政権時代の竹中平蔵さんが流した風説だと思うが「公務員は多すぎるし、賃金は高すぎる」を土台に、橋下さんのおおさか維新は、無駄をなくす行政改革の象徴として公務員を叩き、見事に「ふわぁっとした民意」を掴んだ。戦い済んで何とやら、日本の公務員数はOECD(経済協力開発機構)平均をうんと下回るほど少ない。相対的に賃金は高かったが、大阪が象徴するように、今では随分引き下げられた。そのためか、大阪は教員も思うように採用できず、人材はよそに流れている等々、何だか真逆の「公務員少ない説」が目立ってきたように思う。ボクは、公務員改革に共感した一人だが、多いとか少ないとか、そんな議論じゃなかったはずだと思う。橋下さんはシャープでスピーディな政治家だったが、清涼飲料水みたいなもので、喉元過ぎれば忘れてしまう。そんな風にあの改革を終わらせられたらたまったもんじゃないと思うから、もう一度この問題をおさらいしておこうと思う。
 橋下さんが、公務員問題で、口は悪いが的を射ていたのは、一つは、例えば家庭ごみの回収や地下鉄など、公務員でない方が効率的だし持続性がある業務を、漫然と維持するのではなく改革するという方針だった。ボクは賛成で、問題はその移行のやり方だと思っていた。二つは、時代に合わせて公務員の配置を変える、その場合、非公務員でも良いという方針で、ボクはこれも賛成で、就労支援などの新しい課題に対応すべきだと思っていた。だが、前述の教員の例のような失敗もあった。三つは、これが一番重要だと思ったんだが、公務員と市民の関係を「選手と観客」の関係から改革することだった。公募校長、公募区長や西成特区構想には、そうした意欲が感じられた。好き嫌いは別にして、橋下時代に大阪市のNPO等の市民活動は活発化したと思う。
 ところで、橋下さんが去ったいま、改革はどうなった? 初心は貫徹してほしいものだが、家庭ごみの民営化の熱意は吉村市長には感じられなくなった。改革には失敗もあって、例えば韓国でもいったん民営化・非正規化に偏ったソウル市の職員を正規職員にした。大阪市も非公務員職員や委託職員を正規職員にし、教員の待遇を改善して戦力アップを図ることは、改革の失敗というより改革の継続だとボクは思う。
 さて、「選手と観客」の関係からの脱却はむしろ逆回りしているように見える。都構想にこだわり過ぎて、「選挙(で選ぶ)に勝る民意(参加)はない」としつこいほど繰り返され、市民はただの観客からは一皮むけたかもしれないが、「投票権を持った観客」に過ぎなくなった。だから、いま、特別区か総合区か、はたまた今のままか、議会の議論も市民に打てど響かない。プロセスに関心を示さず、結果にだけコミットする、それが住民投票ややり直し選挙の悪弊だったら、橋下さんは罪なことをした。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

月刊なび128号より 市大調査とボク達の90年白書
 投稿日時: 2017/09/29
 いま、ちょっとした話題になっている大阪市大による大阪市生活保護者ビッグデータ解析(以下「市大調査」と略す)報告書を見ながら、ボクは、27年前の「1990年西成地区生活白書」(以下「90年白書」と略す)を編集した記憶を重ね合わせた。元々は、大阪府による同和地区実態調査で、分析も大阪府がやってくれたのだが、ボク達はそれに満足できず、西成地区分を抜き出し、憑かれたように無謀な作業に相当な時間を費やした。その訳は、当時、同和対策という手法に行き詰まり感を覚え、「老朽密集市街地再開発」というオルタナティブ(もう一つの)を温め、その進路を確かめたいという思いからだった。
 その無謀な作業でボク達が探り当てた「定住性の高いはずの同和地区人口の2割が流出入する現象」と「同和住宅や老朽賃貸住宅を舞台にした貧困と困難の一方通行現象」は、後のまちづくり活動に随分役立つことになった。それは、市大調査の「福祉マグネットとトランポリン仮説」にも通底している。学問的仮説の持ち合わせなどなかったが、ボク達の調査への反応は早かった。松岡徹さん(当時市会議員)は、同和住宅での「事故(不正)入居」を住民自ら検証是正し、応能応益家賃まで提案した。一方で、老朽賃貸住宅の共同建替事業を発案、全国で初めての家賃助成制度を国に働きかけた。住宅改良事業の継続事業への住民参加も発案した。そして、ボク達は、高齢者、障害者、母子父子家庭、在日コリアン、失業者、健康等々、立て続けに住民独自の調査を実施し、その一方で、在宅介護地域ネットワークや毎日型配食サービス、障害者の就労支援事業、高齢者生きがい労働事業団、自立就労支援事業(後の大阪府地域就労支援事業の原型)等の住民主導の新規事業を次々と実践していった。
 市大調査は、半年を区切りにした福祉(生活保護)マグネット(引き寄せ)機能率を、男性で19.8%、女性で10.6%と数値化し、同時に、良くも悪くも受給期間は短く、それだけの人々が大阪市の福祉を舞台に「往還している」と報告している。また、2010年に激増した生活保護の「その他世帯(高齢者、障害者、傷病者、母子家庭でない)」へのトランポリン(福祉から就労へ)機能率は、「単身その他」で20.1%で、平野区41.9%、東淀川区39.1%など地域差も顕著だが、効果を確信するまでの結果は得られなかったと報告している。
 ボクは、90年白書の同和住宅と賃貸住宅を福祉(生活保護)に置き換え、数値化されにくい往還する人々の「貧困を包含する困難」と、それでも、西成地区で障害者や在日コリアン等を少なからず「定住化」に導いた「まちづくり(オルタナティブな福祉や新しい互助)」のあれこれを想像した。そして、大都市の密集市街地問題にヒットしながら、その後のまちづくりがラセン階段だったことを省みた。ボクが、いま、総合区分権等大都市制度に強い関心を持っている理由に、そんな振り返りがある。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

月刊なび127号より セーフティネット住宅で都市力アップ
 投稿日時: 2017/08/31
 わが国の住宅家賃応援制度というのは、欧米諸国に比べていたって貧弱なもので、公営住宅と生活保護の住宅扶助と、生活困窮者自立支援法による「住宅確保給付金」の三つしかなかった。ようやく今年、「住宅確保要配慮者(以下「要配慮者」)に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律の一部改正案」が成立し、要配慮者の入居を拒まない賃貸住宅として空家等を都道府県に登録する「セーフティネット住宅(通称)」が制度化された。
 この法改正によって、要配慮者は、保証金等が免除されるとともに、おおよそ月額4万円未満の家賃助成を受けることができ、家主には住戸改修費も補助される。サービス付き高齢者住宅も対象となる。但し、国の補助を受けるには自治体が「住宅供給計画」及び「居住支援協議会」を設置する必要があり、大阪市は現在のところ態度未定らしい。また、家主は、対象物件を「要配慮者専門住宅」として10年以上は塩漬けにしなければならない。国は、年間5万戸、5年で17・5万戸を目標にしているそうだが、人口減少もあって公営住宅の大幅増は見込めないし、民間賃貸住宅等の空家、空室問題は深刻だから、いわば「借り上げ型公営住宅」として、都市の住宅市場にも好影響を与えるかもしれない。
 振り返って、西成区北西部のまちづくりでは、20年ほど前に、民間老朽賃貸住宅の共同建替に対する家賃助成制度(従前家賃と新家賃の差額の2/3を公費助成)を全国に先駆けて実現した。その時から入居者、事業者、地域の三方よしの住宅政策を検討してきたから、今度の法改正には大いに期待したい。
 折しも、大阪市立大学による大阪市の14万人の生活保護者ビッグデータ解析で、他都市から大阪市に流入してから短期間に生活保護を受給した市民が増えているとの新聞報道があった。他都市に同様のデータはないので多いとか少ないとかは比較できないが、大阪市には仕事がある、就労支援がある、相談所がある、良い住居があるとの期待(裏返しの失望)が背景にあるというのなら、大いに関心がある調査結果だ。高度経済成長期ほどに流入人口が多いはずはないが、外国人も増え、或いは地方からの流入者も増え、その人特有の課題も抱えておられるなら、大阪市は、必要な就労支援や住宅支援、さらにはコミュニティ支援を講じることで都市の魅力をアップさせることになると好意的に捉えたら良いと思う。また、国には、生活保護費の流入者分は全額国家負担にせよと提案しても良いと思う。
 昔、西成公園がホームレスに占拠されていると住民のストレスが高まった時、「公園があって良かった」との住民の呟きが、その場を収めた。ボクは「公園が福祉になってる」と感じ入り、その後「公園で寝てる人から、公園で働く人へ」のコピーで都市公園の指定管理者に挑戦した。「セーフティネット住宅」で良い住まいを提供したいものだ。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸


※訂正 8月号のいい湯加減の中に記載の誤りがありましたので、下記の通り訂正いたします。
(誤)筒井美紀准教授 ↓ (正)筒井美紀教授
深くお詫び申し上げます。

月刊なび126号より 運動が行政政策になったという逸話
 投稿日時: 2017/08/01
 特別区か総合区かという行政機構の議論の下地として欠かせないのが、流入者が多い「母都市」大阪市の労働行政のあり方議論だが、法政大学の筒井美紀教授が面白い論稿を発表されている。「大阪府における地域雇用政策の生成に関する歴史的文脈の分析‐就労困難者支援への体系に関する総評労働運動の影響‐」という難しそうなタイトルだ。要は「労働運動が労働行政になった」という話だ。
 いまトレンディな生活困窮者へ就労支援政策の原型となったのが「大阪型地域雇用政策」だ。その内容は、一つに、雇用政策がまだ地方自治体のテーマではなかった1990年代に、大阪府が「労働行政地域総合システム」を発案し、商工労働部に「雇用推進室」を設置したこと。二つに、これに続いて大阪府が「地域就労支援事業」を発案、さらに「行政の福祉化」という理念から委託物件契約に「総合評価入札制度」を導入したこと。三つに、国が無料職業紹介事業を認可(2003年)すると、豊中市がいち早くこれを活用し、「豊中モデル」と称される就労支援に取り組んだことだ。
 この「大阪型雇用政策」も一朝一夕になったはずがないと、筒井准教授は、元大阪府職員の橋本芳章さんや元豊中市職員の西岡正次さん、元部落解放同盟役員のボクと、´A ワーク創造館館長の高見一夫さんの聞き取りを行った。その取材方法はちょっと変わっていて、ボクの場合、所属する西成支部が「同和対策事業のオルタナティブ」に取り組んでいたことや、その昔、ボクが故上田卓三代議士の秘書もやっていたことにまで言及し、四人がほぼ同年代で、1970年代の大阪総評を中心にした労働運動と部落解放運動の共闘の時代を経験していたことに着目している。そして、四人がそのフィールドワークにおいて、「異質な他者との出会いという、情念を揺さぶられる体験」を伴っていたがゆえに、既存の制度や事業の射程と限界とが見えたのだろうと分析している。
 1970年代、部落解放運動との共闘を始めた大阪総評労働運動は、組合員にはなっていない都市労働者と出会い、部落解放運動もまた、障害者等の都市生活者と出会い、その悩みや願いが既存の制度や事業を超越したものであることに気づき、葛藤する。残念ながら(と言おうか)労働運動の方はそれを進取する暇もなく連合結成へと向かったが、大阪府や基礎自治体がその財産を進取した。つまり、光栄なことに、筒井准教授は、労働運動や解放運動の試みが「自治体政策になった」と評価してくれている。
 ボクは、大都市においては「地域」だけでは括れない「流域」とでも表現すべき都市空間があると言ってきたが、その「流域」にかつて大阪総評が立ち合い、はたまた「地域の重層性」に部落解放運動が立ち入ったのだと思う。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

転載の許可をいただきましたのでご覧ください。↓

大阪府における地域雇用政策の生成に関する歴史的文脈の分析
‐就労困難者支援への体系に関する総評労働運動の影響‐
法政大学 筒井美紀教授



※訂正 なび8月号(vol.126)にて記載の誤りがありましたので、本投稿では訂正しております。深くお詫び申し上げます。
(誤)筒井美紀准教授 → (正)筒井美紀教授

月刊なび125号より アベを止める処方箋はないのか
 投稿日時: 2017/06/21
 「どうやったらアベを辞めさせられるか?」依然安定した支持率を誇る安倍首相だが、巷にはそんな会話が広がっている。
 小泉純一郎、野中広務、古賀誠、山崎拓等々の自民党長老は、原発再稼働、安保法、秘密保護法、共謀罪、憲法改正等々の安倍政策を真っ向から批判されている。さらには森友、加計学園問題についても疑念を表明しておられるし、詭弁と野次とせせら笑いを繰り返す首相に「品がない」と戒めておられる。この一連の間違った「政策」を強行させているのは「1強」という「政局」であり、その背景には「小選挙区制」があるというのも、期せずして一致した見解だ。礼を失するかもしれないが、かくいう自民党長老の現職時代の責任も免れないから、「こんなはずじゃなかった」と後悔されての発言なのであろう。それは民進党や野党にも言えることだから、小沢一郎さんも動いておられるのだろう。そして、1強を創り出した政局、選挙制度が、自民党の個々の議員を拘束し、公明党の政策も歪めるという連鎖を生んでしまっているのではないか。そして、困ったことに、国民もこの政局と選挙制度によって、現状の「消極的承認」に誘導されてしまっている。それが安倍首相への高い支持率となっているわけだ。
 さて、「安倍さん」を「橋下さん」或いは「維新の会」に、「憲法改正」を「都構想」に置き換えてみると、いま大阪市政が陥っている状況に酷似している。「(大阪市は)今のままで良い」では、橋下さんのキャラクターや維新政治を評論するだけで、橋下(維新)との改革競争にはならないのと同じように、「小選挙区が元凶」では、原発や憲法という「政策」からの逃避と映る。ボクは、都構想には「参加の自治」という対案、安倍政治には「競争に代わる共生」というような対案を示して「政策を問う」こと、それが「アベを辞めさせる」方途だと思う。
 問題はその方法だ。「政策は選挙で争う」だけでは短絡ではないか、とボクは思う。だから、安保法反対を闘ったシールズの若者が「未来のための公共」という新しい市民活動を始めたことなどに強く共感する。大阪市では、都構想(特別区)に代わる対案として「総合区」が検討されているが、8区(合区)案と24区案に分散しているし、何より、教育や福祉がどう変わるのかなど、市民生活との関係はほとんど議論されていない。国と比べると大阪市は小さい。市民活動や社会運動などの様々な小さなファクターが「外国籍住民は住民投票に参加できないか」「NPO等市民活動と町会との協働はできないのか」等々、井戸端会議やSNSを活用したコミュニケーションを広げること、はたまた、総合区の政策合意を実現することで、実のある政策競争を演じることは可能ではないか。その結果如何で、都構想(大阪市の解体)は止められるし、アベ暴走を止める力にもなりうる、ボクはそう思う。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

月刊なび124号より ホームレス支援法は存続できるか
 投稿日時: 2017/06/05
 「ホームレス自立支援特別措置法」は8月に期限切れを迎えるのだが、一部の新聞報道は、「延長せずに失効する公算が大きい」と報じた。共謀罪など国会が政局にまみれ、6月の閉会までに延長の声があがらないのではないかと懸念しているようだ。そんな新聞記事が逆に功を奏して、元々15年前は超党派による議員立法だったわけで、各党が腰を上げてくれることを期待している。
 その新聞記事には、旧知の山田実さん( NPO釜ヶ崎支援機構理事長)の談話があった。「ホームレスは有史以来、迫害の対象だった。特措法によって、国が支援すべき対象だという根本原理を変えた。法律ができた後も、襲撃とか殺人事件が後を絶たない現状がある。法律がなくなったら、先祖返りし、『ホームレスは社会のゴミだ』というように逆転しかねない」と恐れている。短いながらも鋭い、やまちゃんのコメントだ。ホームレス支援法は、「迫害の歴史を支援の歴史に変える」未だ途上にあり、他法(生活困窮者自立支援法など)では補えないものがそこにある。ホームレス支援法は、何故ホームレスになったのか、どうしたらホームレスにならないかに着目し、そのための住居や仕事の確保、生活相談の実施や実態把握のための全国調査や施策実行計画の策定など、国や自治体の責務を規定したが、「迫害の歴史を終わらせる」とは書かなかった。ホームレス支援法から13年遅れて生活困窮者自立支援法が成立し、そこでは一時保護や住宅支援や就労支援が明記され、ホームレス支援法の内容を包含したものの、「迫害の歴史」に立ち入るものでもなく、その分国や自治体の責務には言及していない。やまちゃんは、政治家の良識を信じるとボクに語っていたが、土壇場でこの法が再延長されることで、「迫害の歴史を変える」営みの存続を誓った、となることを願ってやまない。
 時を同じくして、生活困窮者自立支援法は「3 年見直し」の時を迎えている。この法の肝が、「個人の尊厳」と「地域づくり」にあったことを考えれば、「アドボカシー」つまり「声になりにくい」当該相談者の権利擁護(尊厳)を、「地域づくり」のタテ糸或いはヨコ糸にしていくという問題意識が求められていると思う。ボクは、「声をあげてきた」部落差別解消法に「個人の救済」が明記されること、或いは「声になってきた」ヘイトスピーチ規制法(条例)に「被害者の救済(訴訟費用の公費支援等)」が明記されることが「呼び水」になると期待したが、そうはならなかった(ヘイト被害者支援の民間基金が大阪で設立されたのは朗報だったが)。
 ともあれ、ホームレス支援法の再延長を求める、わが西成、釜ヶ崎のやまちゃん達の政治へのコミットは、とても意義のあることであり、同じ西成区民として誇らしいと思った。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

月刊なび123号より 「西成自治区」っておもしろい!
 投稿日時: 2017/04/25
 大阪市が導入を提案している総合区だが、3月の世論調査では、「都構想」33%「今のまま」46%に対し「総合区」は12%と、支持は少ない。知名度も理解度も低いのは仕方のないことで、徐々に理解が広がっていくのだろうが、市民の中には最初のボタンから誤解されている節があるから、一言申し上げたい。
 総合区は現行24区を廃止し、8つに合区するものだから、慣れ親しんだ西成区がなくなるから反対だという意見がある。そうじゃなくて、24区が「地域自治区」にバージョンアップするのが総合区だ。西成区は「西成自治区」となり、そこに今の区政会議が名称を「西成地域協議会」と変えて再設置される(同名の区政会議は総合区に設置される)。この地域協議会には、区民各界各位から委員が選出され、自治区長も選任され、総合区長への意見具申の権利も与えられるから、今以上に区民が市政に参加できることになる。だから、バージョンアップなのである。総合区は地域自治区を束ねる形で8区設置され、西成は住吉、住之江と一緒に「○○(総合)区」となる。頓智問答みたいだが、区と区を「合(併する)区」というより、区はそのままで「総合(する)区」なのである。
 だから、「一番人気」の「今のまま」が良いという市民にとっても、24区が自治区として残るという意味では「今のまま」なんだから、一考に値する総合区案だと思う。今の24区のまま総合区になれば良いという穿った意見もあるが、それは総合区じゃない。公務員や議員にお任せの市政ではなく、市民が観客から選手になるぐらい参加していくことで、もっと必要な市民サービスを創り出していこう、その財源つまり税負担のことも理解しあっていこうという点では、関、平松、橋下、吉村歴代市長の意見にそんなに隔たりはなかった。それほど市民の関心も高まったので、橋下市長が「特別区(都構想)」を住民投票にかけたが、僅差で否決されたので、次の案として総合区が登場したわけだ。
 さらに、総合区の知られざる点は、小学校区を単位にした「地域活動協議会」が設置されることだ。今の「地活協」と見た目は同じだが、行政主導の現在の行政区と違って、市民参加の総合区―地域自治区―地域協議会とつながるわけで、最も身近な小学校区から市政に参加する道筋が敷かれることになる。今宮や萩ノ茶屋では、「エリアマネジメント協議会」と称して既に先行しているから、そんなに突拍子なことでもない。
 さて、最後に、総合区で言う「住民(市民)」とは、住む人、働く人、活動する個人及び団体のことで、外国籍住民も包摂する、そう理解しあいたい。駄洒落じゃないが、総合区とは「総合力を集める」ためでもあるのだ。いろんな人が集まるから摩擦も事件も起こるという心配もあるかもしれないが、いろんな人を認め合えれば、知恵も力も出てくるという面もある。総合区は大阪市の成長戦略にもなると言えば言いすぎかな?

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

月刊なび122号より 共同浴場の存亡の危機
 投稿日時: 2017/03/24
 皆が貧しかった西成の被差別部落で、部落解放運動主導の共同浴場(文化温泉)が落成したのは1955年で、いわば「民設民営」だった。しばらくして同和対策事業が始まって、「公設民営」の共同浴場は三つに増え、地域内の8つの純民間の銭湯にも入浴費助成が付いた。ところが、2002年に同対法が終結すると、入浴費助成は全廃され、共同浴場は無償貸与されたが有期限となり、廃業時には更地にして返還することが義務付けられた。
 西成の部落解放運動は、廃業か存続か判断を迫られたがNPOを創り、市から貸与を受け、「くらし組合」で高齢者等利用者の受け皿を創り、11の銭湯と通常より100円安い「組合料金」を設け、銭湯離れを防いだ。若くて比較的所得の高い人は流出し、高齢者や困難を抱えた人々が滞留、流入、再流入する西成特有の「一方通行現象」を逆手に取った妙案で、「このまちでは60歳になると風呂代が安くなる」と評判にもなった。
 それから15年、地域の人々も、また銭湯の建物も齢よわいを重ねた。大阪市の人口は「まだら現象」で増減したが、西成の被差別部落では減少の一途を辿った。結果、三つの共同浴場の内一つは廃業に至り、建物の解体除去費用の工面に奔走している。残りの二つも、利用者の減少を食い止めて健闘しているが、増えることはない。建物は時と共に修繕費を膨らませ続けており、繰り言のようだが、公の支援があったがために「オーバーストア」気味の建物になっている分、修繕費に跳ね返った。収入は増えないのに、支出は増え続ける悪循環に陥っている。
 施設の複合利用や複合施設化で収入増を図るべく市に要望を繰り返したが、門前払いだった。そして、大阪市との貸与年数と建物の耐用年数が足音を立てて近づいてきた。人口減少も加速度的に進み、小学校さえ廃校の危機を迎えるに至った。当然のように、経営側は、先行きの見えない中で修繕費用を控え気味になるし、その分利用者からの苦情も増え、間に挟まった従業員はストレスを溜めてしまっている。
 さて、去るも地獄、残るも地獄の状態から、西成の部落解放運動、社会的企業に、くらし組合に続く「二度目の妙案」は閃くのか。二つを一つにする手もあるが、解体除去費用が要る。大型施設の大規模修繕は、先行きの維持費に苦しむ。「スモール」な建物に建替えるには新築コストがかかる。廃業してしまうと地域の高齢者が悲しむ。総合区になれば、市のアタマも変わるか。「富山方式」の多機能型ワンストップ福祉はヒントにならないか。にしなり隣保館の付帯施設にすることで、多目的化施設にすることはできないものか、と苦悩は続く。
 それにしても、1950年代の地域の先達は、共同浴場建設という勇敢な計画を思い立ち、実行に移したものだ。いまさらだが、時を経て、そう思う。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

月刊なび121号より 地域自治区と総合区で大阪市が分権都市に変わる
 投稿日時: 2017/02/21
 ようやく、大阪市を残したまま都市内分権を推進する「総合区」の骨格と日程が明らかになってきた。現行24行政区を単位に「地域自治区」制度を導入、意見具申権」を付与するとともに、総合区役所とならない区役所を「支所」として存置する。行政区単位は「一般市並み(人口30万人程度)」の事務を執行する8区に合区する「総合区」を設置、総合区長に「予算提案権」と様々な行政サービス(子育て施策、道路・公園の維持管理等)の執行権を付与するとともに、議会の「総合区常任委員会」と住民参加の「区政会議」も設置する。
 日程的には、3月に総合区「区割り(8区)案」が公表され、夏には総合区の「制度案」が示される。遅くとも2018年2月には総合区設置の関連議案が議会に提案される予定だが、公明党は「遅すぎる」と注文を付けている。ともあれ、可決されると、その一年後(2019年4月)の市議・府議選挙は、総合区割りでの初めての選挙となる。
 ただ、吉村市長は、「総合区に特別区を便乗させたい」ようで、4月には「法定協議会」設置の可否を議会に問うようだ。さらに、来年2月に総合区関連議案を採決しても、秋に予定している特別区の住民投票まで凍結しておく腹づもりのようだ。維新を慮っての折衷案なんだろうが、吉村市長のかじ取りは複雑系だ。しかし、総合区への共感が広がることで、民意に従って、最後は住民投票を思いとどまってくれると期待する。
 また、合区の議論は現時点を起点とするなら拙速感は拭えないが、都構想議論を起点と考えるなら、それなりに時間をかけてきたとも言える。「合区なき24総合区」案の自民党も、これからの議会での議論を経て、「総合区を実現」で収斂してくれるものと期待する。
 裏話みたいな噂話だが、2019年4月の市議・府議選について、公明党だけが総合区区割り選挙の準備を進め、他党は現行24区選挙を想定しているそうだ。「合区なき総合区」案の自民党や、「現状維持」の共産党は当然なのかもしれないが、不思議なのは維新で、特別区の住民投票で「空白」ができるので、総合区区割り選挙に「間に合わない」との予測だそうだ。維新らしからぬ「退路を断たない」態度だ。
 橋下市長( 当時)は、2015年5月17日の住民投票を「一度きりの決断」と市民に判断を求めたが、終わってみれば、通過点(どちらかというと番外編)だった。今度こそ、ホントの決断の時だと思う。大阪市が総合区と地域自治区を併用した「分権都市」として再出発する、そのチャンスの時だ。この4月に、できることなら法定協議会設置が否決されるか、さもなくば、来年2月の総合区設置議案採決とともに、特別区住民投票が断念もしくは延期されるか、市民の意見をちゃんと表明すべき時が来る。

株式会社ナイス
代表取締役 冨田 一幸

月刊なび120号より 他者を思いやる想像力で、新しい年を生きる
 投稿日時: 2017/01/26
 過ぐる2016年を概観して思い浮かべたのは、「空に消えていった打ち上げ花火♪」という歌詞だった。
 障害者差別解消法は「合理的配慮」を明記した画期的(花火のよう)な法律だったが、その後の盛り上がりに欠けた。軽介護を介護保険から地域事業に変えるというのは、賛否はともかく転換になると思ったが、尻すぼんだ。生活困窮者支援も期待通りには広がらず、何だか「こども食堂」へと目移りした感がある。唐突だが、米国初の女性大統領誕生かと思われたが、失速したし、わが国でも「民進党」と党名を変え、蓮舫という女性党首を迎えたのに、空回りした。ヘイト法や部落差別解消法が成立し、LGBT法やフリースクール法等も俎上に載ったが、突破力のある政治家やリーダーは見えなかった。鹿児島とくに新潟知事選では原発が争点化し、少なくとも連合という労働団体は紛糾すると思ったが、そうでもない。橋下さんが口火を切り、各党も同調した教育の無償化も一気に財源論にまで踏みこむのかと思われたが、打ち上げ花火の如くだった。
 もちろん、何事も一朝一夕に行くものではなく、新しい年に引き継がれていくとは思うのだが、この消化不良感は一体何だろう?
 一つは、万事に当事者感が薄い気がする。口幅ったいが、米国の女性たちは選挙戦略を見誤ったのではないだろうか? 与党というか、自民党というのは、世論を取り込んでしまう癖がある。やっぱり、時に意固地なほどの当事者運動を野党が掘り起こすことが、法律(仏)に魂を吹き込むのだろう。沖縄の反基地運動は、いかにも対照的だ。生活困窮者支援も支援員が当事者を代行しすぎる気がする。自治体も分権の前に、分散しがちになっているのかもしれない。
 もう一つは、他者を自分に置き換えてみる想像力が欠けている気がする。「合理的配慮」も障害者だけとみると、「配慮」という上から目線が気になるが、これを多様な人々の権利に広げて考えると、「気配り」という水平になる。原発で働く人や家族とその労働組合が葛藤するのは当たり前で、「連合は堕落した」なんて言わずに、民主主義に良い方途はないものかと、一緒に模索することが有意義ではないかと思う。
 政策に当事者性を持たせることと、他者を自分に置き換えてみる想像力、その顕著な営みを「政治」と言い、それは文学にも似ている、ボクはそう思ってきた。つまり、政治が不在な分、文学がないのと同じように無味乾燥なのだ。蓮舫さんは、二重国籍問題で出鼻を挫かれた感があるが、与党vs野党を超えた女性という目線で、すべての政策を問い直したら良い。沖縄とそれ以外、障害者とそうでない人、原発と生活者、権力とは少し違う自治体という存在も、そうした想像力によって、硬直を打破したいものだ。そんな徒然の感慨を、遅ればせの新年の抱負としたい。

株式会社ナイス 
代表取締役 冨田 一幸

(1) 2 3 4 ... 13 »
_