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月刊なび171号より 祝! エスペランサ靴学院芦原橋移設
 投稿日時: 2021/04/30
 新聞報道のとおり、この4月、業界では著名なエスペランサ靴学院が浪速区のAダッシュワーク創造館内に開設され、授業を開始した。開設というよりは移設で、東京の浅草で半世紀も頑張っておられたものが、経営難で事業断念となるところを、学院卒業生の大山一哲さんの発案、Aダッシュの高見一夫館長の協力で、大阪移設が実現した。

 製靴業は浪速や西成の同和地区とその周辺の地場産業で、ルーツは江戸時代から靴の原材料である皮革の一大集積地であった旧渡辺村という被差別部落である。当然、部落解放運動は同和対策法の力も借りて皮革業や製靴業の振興に努めた。大阪皮革産業会館(大国町)の建設も同和対策法によるものだったが、この会館もすでにない。地元選出の辻洋二、吉田信太郎、松岡徹各市議は皮革産業振興に熱心で、ボクもその市議らや西成区玉出にあった関西製靴株式会社の片岡常年社長など業界関係者らと一緒に、TQ(関税割当)制度問題で政府や国会議員への要請行動のために上京した。一九九〇年前後のことだった。

 日本の製靴業は明治以降と歴史が浅く、どうしてもイタリアなど本場の後塵を拝しており、また、中国などには安価な製品の大量輸入で突き上げられていた。ガット・ウルグアイ・ラウンドでの靴の貿易自由化の圧力も高まっていた。そこで、自由化に対して、国内産業保護(ボク達からすると部落産業の振興)という観点で、関税の維持と技術革新や人材確保などの産業振興政策、すなわちTQ制度を求めたのである。それは至極当然のことだった。

 その後、西成のまちづくり運動の中から、靴職人育成のための西成製靴塾が設立されたのは一九九九年、靴職人の故井村義清さんなどが奔走された。この塾は、長橋小学校の空き教室から始まり、いまは鶴見橋商店街に居を構え、22年で約二〇〇人の卒業生を送り出してきた。塾への行政補助金は一切なく、無認可だがいわば社会的企業として持続してきた。そこに、近場へのエスペランサ靴学院の移設は朗報だ。一九九九年はエル・チャレンジの創設やNPO釜ヶ崎支援機構の設立の年でもある。この頃、ボク達は、行政補助金にも頼らない、営利企業でもない「新しい発想」に胸を膨らませていた。

 エスペランサ靴学院は、靴づくりの技術だけでなく、経営学やマーケティング、SNSを利用したセルフプロデュースの方法なども学べるらしく時代の先端を走る。そこに、Aダッシュの就労支援やコミュニティビジネス支援のノウハウというバックアップが加われば、期待は膨らむ。西成製靴塾も小学校の空き教室から「小さく産まれた」。伝統あるエスペランサ靴学院もAダッシュワーク創造館の一室から「小さく始まる」。社会的企業って何かと問われれば、欲しい商品やサービスを“働きたい人”でつくるということ。当然、欲しい人が少ないと通常の市場では手に入らないから、何らかのしかけが必要だ。働きたくても事情があって働けていない人にも何らかの仕掛けが必要となる。その仕掛けに苦心惨憺するのが社会的企業ということだ。小さく始まって、大きく育って欲しいものだ。

月刊なび170号より エッセンシャル最賃なんてありか
 投稿日時: 2021/04/01
 イチローがいたマリナーズ球団がある米国シアトル市議会は、今年1月から最低賃金を15ドル(日本円で時給1600円)に段階的に引き上げると決定し、フロリダ州でも15ドル最賃への州法改正案を求める住民投票が可決した。「Fightfor15(15への挑戦)運動」と称せられる市民運動が全米に広がっているという。
 日本の最賃は都道府県ごとの最賃審議会で毎年改定されるが、大阪府最賃審議会はコロナ禍を理由に据え置きを決定し、964円のまま足踏みした。府議会や市議会では議論されてないようなので、自治体は最賃遵守止まりだ。自治体選挙の公約に最賃が取り上げられたこともない。「賃金は市場や労使で決まるものだから、自治体の介入は難しい」というのが首長や議員の常識なのだろう。
 最賃は、憲法で保障された健康で文化的な生活を営むのに必要な生計費を、労使の委員と公益側委員が合議して決定する。時給1000円なら月給16万円(8時間×20日)。大阪のような都市では賃貸住宅居住者が多く家賃も高いので、家賃を8万円と仮定すると、残りの生活費は8万円程度、生活保護以下の生活水準に止まる。生活困窮者は「働き始めても、働き続けられない」つまり雇用が守れない。
 ボクは、大阪府ハートフル条例改正の審議に参画して次のことを主張した。障がい者や生活困窮者が働き続けるためには、自治体発注の公契約業務の入札が価格競争で労務単価を引き下げないようにする「総合評価入札」に加え、労務単価積算に「就労支援費」を加算すべきである、と。大阪府は予定価格の積算に労務単価の約3%を加算し、検討機関も設置した。
 自治体にやって欲しいことは三つ。一つ目は、自治体が発注する仕事の契約において、賃金や生活困窮者の雇用を担保できる労務単価の積算を弾き出し、競争入札でも単価が不当に引き下げられない仕組みを作ることだ。総合評価入札はすでに大阪府内の多くの自治体で導入されている。労務単価の積算や賃金の下限額(最賃のようなもの)を定めるには、税が原資になっているから市民の合意、共感が必要、つまり条例が有効だ。ハートフル条例が先鞭をつけたのだから、大阪市も倣ってほしい。
 二つ目は、最賃の上昇が事業者の経営を苦しめないための支援措置、生活困窮者を持続的に雇用できるための支援措置。国の制度もあるが自治体で上積みできないか。お金でなくても、ハートフル条例に盛り込まれている就労定着支援の「職場環境整備支援組織」の育成は効果的だ。
 三つ目は、コロナ禍で注目された医療・福祉など「エッセンシャルワーカー」の賃金引き上げ。ハートフル条例には「大阪の福祉化」の趣旨は盛り込まれたものの具体策はない。そこで注目されるのが「特定最賃」つまり特定産業従事者(エッセンシャルワーカー)の地域別産業別最賃だ。法では認められているが業界の過半の同意が必要だ。自治体はその過半数賛同への奨励に取り組むとともに奨励予算を計上できないものか。
 公契約での雇用と賃金、さらには「エッセンシャル最賃」を謳ったハートフル条例で府民、市民の共感を得る、そんなシアトルのような議論がコロナ後初の統一地方選挙からでも始まらないだろうか。

月刊なび169号より 市場を市民に、選挙を参加に代えてみる
 投稿日時: 2021/03/01
 「ミュニシパリズム」という言葉を教えてくれたのは谷元昭信さんだ。「地方自治体」という意味だが、その「対国家(中央)」性からさらに踏み込み「対市場(利潤)」「対政治(選挙)」を読む込む。すると、現に存在する「市場(原理)では解決できない問題」「選挙では反映されない民意」の対案として、「市民(原理)」と市民参加への自治機構改革が浮かび上がってくる。

 ミュニシパリズムの実践で有名なのはスペインのバルセロナ市だ。ボクが長らく取り組んできた公契約の入札改革や公共サービスの「市民営化」が、市を挙げて実践されていると岸道雄さん(立命館大)に紹介された。バルセロナ「市民議会」なんて試みもあると斉藤幸平さん(社会思想家)から聴いた。通常、議会は選挙で選ばれた「プロ」の議員で構成されるが、市民議会の議員は、日本の裁判員制度のように無作為で指名された「素人」によって構成される。谷元さんの知人達も島根県松江市で、反原発運動から「市民議会」による直接民主主義に挑戦している。

 ちょっと見ると維新の主張に似ていると感じたのは、ボクの「橋下贔屓」故だ。しかし、維新は市民営化ではなく「民営化」だし、市民議会のような直接民主主義ではなく、選挙至上主義だから、似て非だ。それでも大阪人に強く支持されたのは、似て非でも、市場や自治体機構は今のままではダメではないのかという漠とした志向があったからではないか。いや、橋下改革は途中駅で、その先がある。天王寺公園を「官営」から近鉄に「民営化」したのが橋下改革で、その先の「市民営化」に向かうべきだ。大阪府立住吉公園などが企業と社会的企業のJV(共同企業体)で運営されているのは先駆ではないか。都構想も問題提起は良しとして、大阪市解体ではなかろう、その先はなんだ? ボクはそう振り返っている。

 そんなことを考えていたら、部落解放同盟大阪府連の赤井委員長のコラムに出会った。赤井さんは、今年の運動の目標を①差別を法的に禁止する、②地域共生たる市民運動、③生活圏からの政治スタイル、④水平社宣言にふさわしい運動と組織を地域から再構築すると書かれていた。赤井さんもミュニシパリズムで解放運動を考えておられるのか。

 国会はコロナ特措法を改正したが、国民に罰則を課すというのだから「コロナ罰則法」で、百年前の「ハンセン病隔離法」と何ら変わらない差別法となってしまった。大阪府に対する赤井さんの「コロナ差別防止条例」提案は、罰則法の国に対抗する地方からの人権条例運動だと共感した。また、先頃、労働者協同組合法制定を実現した生協運動のリーダーは、これからの社会運動は「社会連帯運動」に脱皮すべきと語られたが、赤井さんも資本主義そのものに対抗するような「地域共生(連帯)たる市民運動」を思い描かれているみたいだ。政治はその「スタイル」を中央集権型・選挙中心(対立)型から、地域創造型・市民主導の提案型に変えるべきだとも提案されている。最後に、水平社から百年も続く当事者運動団体たる部落解放同盟を改革するとも。その趣旨は、部落民あるいは障がい者だけでなく、すべての「マイノリティ」の拠り所となれる地域組織、地域運動の創造だと解釈した。

月刊なび168号より 補償は良いが、罰則はダメ
 投稿日時: 2021/01/29
 大阪にも二度目の緊急事態宣言が発出されそうだ、コロナ特措法(以下、特措法)の改正法案も上程されそうだという時節に、この拙文を書いている。現時点での特措法改正についての野党要望は、①罰則には反対、②事業規模に応じた補償を全額国負担で、③感染者差別対策を明記する、④地域ごとに緊急事態宣言を発出できるようにする、だ。情報が錯綜して心配したが、これなら賛成だ。それにしても、なぜ「罰則」が問題になっているのか。
 緊急事態宣言とは、国民の生命が広範囲で脅かされている状態を政府が認めるということ。昨年改正された「コロナ特措法」は、緊急事態下の人権の制限事項を列記して、国民の協力を求めた。しかし、人権を制限しながら補償がないのでは、制限された人権は回復されない。そこで、特措法をさらに改正して、法による補償を明文化することになった。ボクはそう理解していた。
 一九七九年に日本も批准した国際人権規約第4条は、いついかなる時にも人権は制限されないが、人権の最大値の生命が危機に陥っている「緊急事態」の存在を国が宣言した時には、一時的・限定的に他の人権を制限してもよいと規定している。ちゃんと理解すれば、制限された人権は最大限回復されなければならないということになる。だから、特措法改正で「人権回復補償」を明記することは当然な措置で良いことだ。
 ところが、政府は補償と「罰則」をセットにすると言いだし、刑事罰は無理だから行政処分を課すとの立場らしい。一体どうしたんだろう? 緊急事態宣言を発して、国民の生命を守るために皆で行動しよう、営業の自由、働く権利が著しく制限される人々の人権回復補償も負担し合おう、そう決めるんじゃなかったのか。人権は人間の生来に起因するもので、営業や労働の自粛は、たとえ政府に要請されようとあくまで「自発」であり、強制できるものではない。一時的にせよ他人の人権の制限を許容してもらうにはその他人の同意が必要、つまり自発ということだ。営業や労働で生きていく自由と権利は何人たりとも侵すことはできない。一方、ヘイトや差別煽動に罰則があってよいのは「差別する自由はない」からだ。それは言論、表現の自由を侵すことにはならない。「差別する自由はないが、働く自由はある」、そこはまったく違う。だから、緊急事態宣言で時短や自粛を求める以上、可能な限りの補償を法律で定める、それが政治の役割で、罰則は自由や人権の侵害でしかない。
 ここまで、政府のコロナ対応はずいぶん批判されてきた。自治体の長も上げたり下げたりされてきた。だから、ここで「失地回復」のつもりなんだろうか。俄然権力的になって、国民の私権、人権を左右できるかのような錯覚に陥っているかのようだ。補償するのも罰するのも政治だとでも思っているのか。橋下徹さんはよく、国会議員は緊急事態になっても高い給料が保障されているから、国民の犠牲がまったく実感できないのだ、とちょっと過激な物言いをされるが、案外と的を射ている。ともかく、補償を定めることは画期的であるが、罰則の規定は、まったく正反対に歴史に汚点を残すことになる。

月刊なび167号より 労働者協同組合が成立
 投稿日時: 2021/01/05
 労働者協同組合法という聴き慣れない新法が国会で成立した。簡単に言えば、「雇う/雇われる」株式会社ではなく、共同で出資して共同で働く事業体にも法人格が与えられるということだ。20年以上も昔、西成のまちづくりでも、子育て中の母子家庭等のお母さんが、個々人の事情を配慮し合って働く「クリック」という事業体を立ち上げたことがあった。当時は、適合する法人格は見当たらず、毎日型配食サービスを担ってきた「西成ボランティアバンク」も法人格を持っていなかった。クリックもボランティアバンクもコンセプトは「働くことでまちづくりに貢献する」で、新法も「持続可能で活力ある地域社会に貢献する」と目的を謳っている。

 類似のNPO法では従事者の出資は認められていないし、事業項目も福祉やまちづくりなど20分野に限定されている。NPOは「市民活動」に適しているが、労働者協同組合は「市民生産」を奨励する。その代わり最低賃金などの労働法規も適用される。ウーバーイーツが若者に人気なのは「雇う/雇われる」に代わる「自由な働き方」なんだが、生産活動の全貌はまったくわからないまま一方的に失職してしまう欠点がある。その点、労働者協同組合は「民主的運営」「情報公開」を社是とするから、もっと自由に働けると期待できる。

 この労働者協同組合が地域社会に貢献すると言っても、直ちにそうなるわけではなく、地域社会の受け皿づくりが欠かせない。まずは、発想の転換が必要だ。自治体と市民の関係は、税金を納め、必要なサービスを受けることがセオリーだ。しかし、税だけでなく、地域のために働くこと、活動するという「税外」行為もセオリーに加えてみるのも良いのではないか。これからの自治体は、市民サービスが増えこそすれ減ることはない。その度に公務員を増やすのも、民営化するのも帯に短し襷に長しだ。もう一つの「自治の力」として市民活動、市民生産が注目されても良い。

 ボクは、長年、公共サービスの「(市)民営化」を提唱し、自治体の入札制度改革に取り組んできたから、自治体が変われば、「自治の力」はもっと強くなれると確信する。元々㈱ナイスも株式会社だが、市民生産事業体だ。寺嶋社長は労働者協同組合法に注目してみるのも良いと思う。いずれにせよ、「雇う/雇われる」や「税を納め、サービスを受ける」という常識からの転換を図るのは良いことだ。

 さて、都構想はもう終わった。しかし、肥大化してしまって、市場にも疎いが、市民にも遠くなった政令市としての大阪市には、やはりニア・イズ・ベターの改革が必要だ。総合区も提案されていることだし、自治と市民の関係を、市民活動、市民生産の振興という観点から考えてみるのは有意義だ。労働者協同組合法もその契機になればと思う。

月刊なび166号より 住民投票が終わった
 投稿日時: 2020/11/30
住民投票は「大阪市を廃止、特別区に四分割」することの賛否が案件だったから、これはもう「チャレンジ(革命のような)」だった。だから普通に「無謀」だった。それを5年越しに2度も挑み、直前まであわやと体感させたのだから驚嘆もしたが、実際は悪夢だった。結果は「今のまま」。
 二度の僅差に勝因敗因を探ってもあまり意味はないし重箱の隅になるから、淡々と受けとめたらよい。ボクは、住民投票にまで至らないようにするのが政治の責任で、大阪市を残したままの「総合区」で妥結するのが良いとずっと思ってきた。ここまで動かすのに維新は百の力を要したのに比べ、十の力で止められたはずの議会に算段はなく「革命」は「暴走」した。今でも、ひょっとして市長と議会が互いに反省し、総合区で急転合意、なんて微かな期待も持つが、それは夢のまた夢。以上が住民投票へのボクの感想だ。
 それはそうとして、住民投票のこぼれ話、いや「拾い話」を二つ三つ。まず外国籍市民の投票権の有無が市民運動になった。これは拾うに価値があるし、住民投票の根幹にある隠れたテーマだ。物騒な話になるが「三度目の住民投票」の動機になるかも。
 「拾い話」の二つ目は、反対の論拠の一つになった介護保険の一部事務組合化。簡単に言えば、特別区から独立した介護保険の役所を作り議会も設置すること。それでは特別区の介護は他人任せになるという危惧が出た。いっそ、一部事務組合なんて言わずに「介護は別の議会で」と発想を変えて、住民参加を構想したらどうなんだろうと夢想した。
 三つ目は、障がい者団体等から示された「特別区で福祉は下がる」という危惧。都市は多様な分、福祉が不安定になるというのなら、何らかの仕掛けがあっても良い。大阪府は「行政の福祉化」と称した障がい者雇用のハートフル条例で市場への規制を効かせてきた(民営化だけでない市民営化の視点)が、「都市福祉化条例」のようなものがあればと思った。
 四つ目は議員の定数問題。特別区議会は少数の議員で寡占化して民意から遠ざかってしまうと懸念された。これは御意で「維新は抜かった」と思った。住民投票に至った市議会は思っている以上に「手薄」なのかもしれない。現行でも、24行政区を選挙区にしなくても良いのでは? 総合区なら話は早いのだが、複数区域を選挙区に変えて定数も増やすというのは不可能なのかなと思った。
 学識者には橋下改革以来の大阪の試みを「失われた10年」「茶番劇」とまで揶揄する人もいた。豹柄服の女性に「いらんことせんといて」と言わせた政党もあった。行政精通者や学識者の意見は傾聴に値し、協定書はあまりに杜撰だったとボクも勉強になった。それでも大阪市はチャレンジしなければならないと思い続けた。次々と「拾い話」が湧いてくる住民投票の経験となった。
 以上が住民投票翌日のボクの感想だ。

月刊なび165号より カモン! コモン(共同)
 投稿日時: 2020/10/30
 ロングセラーになると橋下徹本さえ抜くのではないか。斎藤幸平著『人新世の資本論』が売れている。「人新世」は「ひとしんせい」と読み、人間の経済活動が地球の運命を変えてしまう環境危機の時代という意味だ。「資本論」は一五〇年程前のマルクスの著作名。斎藤さんは地球と人類を救う理論を『資本論』に遡ったわけだ。
 ボク達の時代には、資本主義は労働者階級を搾取するというテーゼをマルクスから読み取ってきた。しかし、斉藤さんは老マルクスの未開の文書から、資本主義が地球環境まで搾取することを見抜いていたと読み解く。そうなると話が違ってくる。経済成長は良いことで、資本主義の後には社会主義が来るという楽観は吹っ飛ぶ。資本主義はそのうち地球を破壊してしまう。根こそぎの開発に走った経済成長の結果、人々は大洪水や飢餓に脅え、支配層だけはシェルターに立て篭って暴力を振う。封建社会(封建資本主義)に逆戻りだ。今は封建社会への黄昏時なのか、コロナ禍もある種の環境破壊が遠因で、自宅=シェルターにステイホームできる人に、そうできない人が危険を承知でウーバーの宅配で奉仕するという支配構造が見えてくる。そんな危機からの活路はあるのか。
 ところで先日、視覚障がい者で唯一参院議員を務めた堀利和さんの著作を読み、討論もした。資本主義は労働力さえ商品にする「特殊な経済」で、自由平等のスローガンも健常者の平均的労働能力に基づく不等価交換(障がい者排除)を容認する限定的なものだ。自由平等は人類の進化の過程で形質として獲得された「共生の遺伝子」に始祖があり、その遺伝子が利己や利他に傾くのは社会環境に因るのであって、「あくまでユートピアだ」と断わりつつも、堀さんは「利他を醸し出す共同労働のイマジン」が必要だと喝破された。
 斉藤さんは危機からの活路を「エコ社会主義」という政治形態と「コモン」という経済形態に求めている。エコ社会主義とSDGsのような装飾的なものではなく、地球環境保全へのラディカルな社会運動だと言い切る。コモンは公共の市民による共同管理と理解すべきか。実は、ボクは斉藤さんに、公共サービス等の管理は、再公営化でも民営化でもない「(市)民営化」が良いと質問したことがある。ミーハーだが「〈市民〉営化」という表現を斎藤本に見つけて、ちょっとニヤけた。資本主義には地球も人類も守れない。国家(社会主義)に任せても大失敗した。資本主義に替わる社会動態を「コモン」と名づけて人間が共同して管理する。そのコモンの方法が〈市民〉営化というわけだ。
 コモンは難解だから市民営化をまず想像したら良い。もう30年やってる西成の毎日型配食サービスは、企業でも役所でもなくボランティアが始めて、今は社会福祉法人が引き継ぎ経営している。これが市民営化。一方、話は大きくなるが、いま注目のコロナのワクチンなんか、地球市民で共有する仕組みができたらどんなに素晴らしいか、これがコモン。実践は難しくても、分かりやすくないかなぁ。

月刊なび164号より 可決でも否決でも
 投稿日時: 2020/09/28
 住民投票の日時は11月1日と決まった。各種の世論調査はどれも賛成優位と報じている。賛成理由では「二重行政解消」「大胆な改革必要」が6割強を占め、この10年の市民の改革支持が根強いことを示した。知事・市長の支持率も驚異的に高く、「バーチャル都構想」も支持されている。コロナ禍でのインバウンドの激減やメトロの減収で成長戦略の見直しが迫られているが、世論調査での賛成理由の「経済成長につながる」は20%弱しかなく、改革と成長は「別物」と市民は見ているようだ。そもそも合区一つでも行政機構の変更は厳しい抵抗に遭うのが常だが、大阪市廃止という荒業にもかかわらず、5年前の否決でも僅差にまで迫った。5年経ても改革志向は衰えていないどころか、むしろ増えている。ある意味驚きさえ感じる。
 松井市長は直近、未就学児への5万円コロナ給付(一人親家庭にはさらに5万円)を発表したが、共産党は「大阪市の財力があってこそ」「住民投票への利益誘導」と突き放した。実際は、維新が教育への財政配分を進めてきた政策の延長線上の措置だと、市民は歓迎している。話は半世紀前まで飛ぶが、イタリア共産党のトリアッティが発信元であった「構造改革」(社会党で江田三郎が提唱し、社会主義協会向坂派が潰したそれ)というものが、日本ではいかに根づいていないかを示すやりとりに見えた。部落解放運動史では「奈良本・井上論争」も構造改革論争だったが、あらためて現代の参考になると、谷元昭信さん(『冬枯れの光景――部落解放運動への黙示的考察』という近著がある)が解説してくれた。ともかく、松井市長と共産党のやり取りは、都構想反対派は「今のままで良い」という旧守に拝跪し、市民の改革志向を最初から最後まで汲
みとれていないことを物語っていた。
 ボクは始めから、橋下改革は民主党政権に至った改革志向を引き継ぐもので、都市機構改革議論も歴史的必然と思ってきた。だから、都構想が大阪市廃止にまで至らぬように、闊達な論争が展開され、「暫定(仮想)都構想」から「修正都構想(総合区)」へと軟着陸していくことが良い、それしかないし、そうなれば良い改革になると期待し続けてきた。実際そのチャンスは何度かあった。しかし、自民党や共産党や市役所OBは何とも頑なだった(民主系は自滅していた)。さすがに公明党も痺れを切らしてしまった。結局、この10年「都構想の対案は廃案」というだけで、何の対案も示さないという驚くべき対応(論争からの逃亡)を繰り返して、選挙に負けに負けて、維新だけに民主主義の手続きを踏ませてきた。公務員OB等の現場からの実に的確な都構想検証も、残念なことに只々維新批判に埋没させられてしまった。
 ラグビーには「ノーサイド」という締め括りがある。政治も「僅差の民意」を引き受けなければならない。可決となっても、コロナ禍での成長戦略の見直しは必至だし、特別区への分権議論は不完全燃焼のままだ。否決となったら、議会は「継続都構想」を今度こそ示さなければならない。ただ、どう転んでも、大阪市民は貴重な経験を刻んだことに変わりはない。

月刊なび163号より 障がい者自死事件は残念だった
 投稿日時: 2020/08/31
 平野区の市営住宅で知的障がい者の成人が自死した。住宅自治会の当番制班長を自信がないと断った際、理由となった障がいの状況を書かされ回覧されたことにショックを受け、苦悶し自死に至ったとのこと。遺族が住宅自治会等を相手取り2500万円の損害賠償を求めて提訴したことでニュースになった。「班長を務められない理由(障がい)を書かせ、回覧する」こんな方法しかなかったのだろうか、ホントに残念でならない。
 障害者差別解消法(2016年施行)は、「不当な差別的取扱いの禁止」と「合理的配慮の提供」を定め、支援措置を規定している。法に照らせば、住民役員及び同席していたとされる社会福祉協議会の関係者の行為は「不当な差別的取扱い」にあたる。住宅自治会は任意団体であるとはいえ、このような抗争(コンフリクト)は想定されたものである以上、設置者の大阪市、平野区と、そこから管
理を任せられている住宅管理事業者の「合理的配慮の不提供」も裁判で争われることになる。8月10日時点では、大阪市は沈黙し、取材も拒否しているが、これは良くない。大阪府は「障害を理由とする差別の解消の推進に関する条例(2018年施行)」で、こうした抗争を想定して「広域支援相談員」の配置を定めているが、話し合いに同席した関係者がそれにあたるのか定かでない。
 「どこの住宅自治会でも、いや町会でも役員のなり手がなくて困っている。当番制班長まで自由意志だとなると、自治は成立しないではないか」という反論、住宅役員側への同情の声もあろうが、差別的取扱いの免罪にはならない。むしろ、コロナ禍でも指摘されている「同調圧力」も影響して、「社会全体が不寛容」になっているのではないかと反省されるべきだと思う。自死した障がい者は、頑なに班長就任を拒否したのではなく、行政や社会福祉にも相談し、助言を乞うていたように思われる。想像でしかないが、この種の抗争も伴う社会的体験は彼にとって未知のもので、そこでの取扱いは想像を超えた冷徹さだったのではなかったのか。
 さて、にしなり隣保館(ゆ〜とあい)は、民設置民営だが、同和対策事業時代からの公営住宅自治運営を引き継ぐ数少ない「地域自治支援の非営利民間組織」だ。さっそく、寺本良弘館長は事件の調査に乗り出し、自らの組織の再検証も実施されておられた。障害者差別解消法や一連の法制度はどれほど深められてきたか? 住宅自治会運営の難しさにどれほど付き合ってきたか? 大阪市は来年度から住宅管理を民営化して、民間事業者に管理を委託することになるが、ただの効率化になりはしないか? 心配の種は尽きないことだろう。
 にしなり隣保館も交流する部落解放同盟大阪府連は、公営住宅の自治や管理に精通する稀有な団体だ。行政責任を免罪するわけではないが、公営住宅等での自治のあり方には非営利社会活動の役割が大きいと期待する。大阪府や大阪市が沈黙しているのは、まさかとは思うが、コロナ対策や都構想の住民投票対策に忙しいからではあるまいか。そうであるなら、困ったことだと思う。

月刊なび162号より どんな附帯決議がつくのかな
 投稿日時: 2020/07/31
 コロナ禍があっても大阪都構想の法定協議会は予定通り進行し、6月19日に賛成多数で協定書案を可決、府議会は8月28日、大阪市議会は9月3日を目途に議決し、11月1日には住民投票が実施される。松井市長は、両議会議決の前にコロナ第2波の状況を見て、住民投票実施を最終判断すると明言している。
 賛否はともかく、合区一つでも至難だったのに、大阪市を大阪府に吸収合併するという大改革案(暴論と言う人もいる)を二度も住民投票に持ち込んだ知事・市長の手腕は、見事だとしか言いようがない。しかも、コロナ禍という難問にも揺るがないのだから潔い。
 しかし、だ。だからこそ、知事・市長はこれから3ヶ月間、苦悶の日々を過ごされることにもなる。5年前の、賛成が僅差で反対を上回ると予測された住民投票は、蓋を開ければ僅差の逆転だったからだ。直近の世論調査(6月28・29日付『日経新聞』等)では、賛成49%・反対35%と予想以上に差が開いたかに見える。しかし、これは流動する。大阪市の廃止を市民自ら決するのは、とても高いハードルだからだ。ましてやコロナ禍だ、市民は揺れ動く。前回の住民投票の否決で橋下さんは引退されたが、同じ結果になれば、その後の言動からして松井市長も吉村知事も潔く身を処せられるのだう。
 大阪市民はホントに難しい歴史的な決断に立ち会うことになってしまった。知事・市長を権力者、無法者と断じている人は何の躊躇いもないだろうが、この10年の改革をそれなりに支持し共感しつつも、大阪市廃止にまでは想像力が及ばない市民は、躊躇い、苦悶されることだろう。打ち明けた話、ボクもその躊躇う市民の一人だ。
 ボクは、この拙稿でも、選挙で信を得た上に退路を断って臨もうとする知事・市長の改革提案に対して、「都構想の対案は廃案」「住民投票は何回もやるもんじゃない」なんて肩透かしのような態度は失礼だ、せっかくの改革案には対案を出して反対すべきだと書いてきた。だから、総合区への移行、大阪市を残したままの府市の限りない一元化が良いとも書いてきた。実際、法整備も整い、公明党が提案し、橋下市長(当時)も妥協され、都構想の総合区への軟着陸が実現しそうな時もあった。でも、そうならなかったから、もはや繰り言だ。
 さて、残る期待は、府・市議会の「附帯決議」だ。一つはコロナ禍への対応。一三五〇億円と推計される移行コストはこの状況下で見直しを迫られよう。二つは成長戦略の再検討。IR もカジノも万博もインバウンドも民営化も、修正を加えてバージョンアップすると決議して欲しい。三つは医療介護の再構築。コロナ禍で進行した脆弱さを検証して欲しい。四つは住民参加。議員定数や地域福祉圏域等に断続的な改革の道筋を示して欲しい。しっかりした議論を展開し、ちゃんとした附帯決議を残してくれることを期待する。その後に、いよいよ住民投票を迎えたい。ボクは無念さと躊躇いを感じながら、一票を投じることにする。

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