第35話 西成食事サ-ビス事業

「西成のまちづくり100話」

西成食事サ-ビス事業

私たちも出来るんやで 1993年6月末の西成障害者会館での事業は、お昼をまたぐものとなり、昼食提供が必要となりました。障害者会館設立のため障害当事者達が活動していた姿を見ていた地域の中高齢の女性達が、「私たちは特別なことはできないけど、ご飯づくりだけはできるんや」と、昼食調理を申し出てくれました。 長年、調理をしてこられたいわば「家庭料理のプロ」の味に利用者も大満足。週3回からはじめられた昼食が週5回に瞬く間に拡大していきました。 地域での事故から配食活動を開始 1995年にひとりぐらしの高齢者が孤独死しているのが発見されました。この事故は、高齢者への日中の見守りや声かけなどの孤立防止が必要だと警鐘を鳴らされた気がしました。 障害者会館で調理した昼食をお弁当として配達する。これを「西成食事サ-ビス事業」として展開することとしました。安否確認をかねて、調理困難な高齢者や障害者宅に昼食を届ける。作るのも届けるのもボランティアが行う。地域の思いが福祉の力となり区内中に食事サ-ビスが拡がりました。 介護保険サ-ビスへの適用を求めて 2000年の介護保険制度開始に向け議論がなされる中、この「生活支援型食事サ-ビス」を介護保険の給付対象にしようという活動が取り組まれました。街頭署名などを通じて、58団体、29.201人分の署名を持って厚生労働省へ要請に行きました。 厚生労働省の回答は「主旨は充分に理解できる」との回答でしたが、適用は見送られました。 大阪市事業として認可される 食事サ-ビス事業開始以来、毎年大阪市に対して事業化を求めてきました。前例がないことから大阪市は認可を渋り続けてきましたが、2001年にようやく事業化されました。介護保険の地域支援事業という財政基盤が整備されたことが大きな要因でしたが、当事者やボランティア達の訴えが大阪市事業を作ったものであると言えます。「特別なことはできない」といっていた人たちが大きな事業を作るに至りました。食事サ-ビス事業はまさしく新しい福祉活動となりました。   食事サ-ビスは新しい福祉活動 「まちのおばちゃん」達が、大阪市を動かし事業を作る。これは新しい福祉活動の実践だと言えますが、そのほかにも、有償ボランティアを活用するなどの新しい取り組みもありました。ボランティア活動は一般的には無償活動というイメ-ジがありますが、労働対価ではなく活動の質と責任を担保するための有償化であり、ボランティア活動で重要な自発性を損ねるものではありませんでした。 また、食事は誰もが取るものであり、調理や弁当配達は特別なことではなく日常親しまれている行為です。「できることをやっていこう」という精神は「自発的」であり、今まで存在しているものを住民力で紡ぎ合わせることは「先駆性」「開拓性」に富んだものと言えます。 生活支援型食事サ-ビス事業は現在、大阪市全域で取り組まれています。 資料:西成食事サービス事業

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